【原精一】絵画の買取作家・取扱い一覧

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原精一

原精一
原精一(1908~1986)
神奈川県出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
素描力に優れていて、多くの裸婦像をしっかりとした骨格で描きダイナミックでリズム感のある作風に仕上げています。
また、萬鉄五郎唯一の弟子と言って良いほど個性的な画家として知られ、萬鉄五郎の作風の特徴でもあるフォービズム、キュビズムといった作風とは違い、独特なタッチで写実的に描く作品を展開しており、原精一自身はこの師弟関係を精神的なつながりと表現しています。
その優れた素描力は現在でも高く評価されており、生前は多くのデッサン展を開催し、「原精一デッサン集」を刊行するほどの人気ぶりでした。
 
神奈川県藤沢市の遊行寺・真浄院住職の長男として生まれた原精一は藤嶺中学校在学中に見た萬鉄五郎の作品に感銘を受け、師事するようになります。
川端画学校にも通い画技を磨いた原精一は円鳥会に出品し、中学の先輩である鳥海青児に絵を学び、新設された国画創作協会洋画部に出品し、初入選を果たしました。
その後、春陽会に出品するようになると春陽会会友に推挙されますが、戦争によって召集を受け、画業は一時中断となります。
こうして日中戦争から太平洋戦争の8年間のあいだに、二度にわたって召集を受け、一兵士として戦場をさまよいながら、その間に数百枚のスケッチを描き残しており、その作品は従軍画家として描いたものではなく、一人の画家として描いたものでした。
 
帰国後も精力的に画家として活動を続け、国画会展を中心に活躍を見せ、女子美術大学教授に就任し、美術教育にもたずさわりました。

原精一年表


1908年 神奈川県で生まれる
1924年 萬鉄五郎に師事する
1926年 第5回国画創作協会洋画部で入選する
1927年 第5回春陽会展で入選する
1936年 第14回春陽会展で春陽会賞を受賞する
1937年 春陽会会友に推挙される
1941年 帰国する
1942年 第20回春陽会展で岡田賞を受賞し、会員となる
1943年 再び応召される
1946年 帰国する
1947年 読売新聞社主催第2回新興美術展で読売美術賞を受賞する
1957年 渡欧する
1970年 再び渡欧する
1986年 逝去

1908年 神奈川県で生まれる

1924年 萬鉄五郎に師事する

1926年 第5回国画創作協会洋画部で入選する

1927年 第5回春陽会展で入選する

1936年 第14回春陽会展で春陽会賞を受賞する

1937年 春陽会会友に推挙される

1941年 帰国する

1942年 第20回春陽会展で岡田賞を受賞し、会員となる

1943年 再び応召される

1946年 帰国する

1947年 読売新聞社主催第2回新興美術展で読売美術賞を受賞する

1957年 渡欧する

1970年 再び渡欧する

1986年 逝去


原精一代表作


『煙草のむ男』
『女の顔(陳少姐)』
『桃色の女』
『I先生肖像』
『椅子にかける裸婦』
『バレリーナF嬢』

『煙草のむ男』

『女の顔(陳少姐)』

『桃色の女』

『I先生肖像』

『椅子にかける裸婦』

『バレリーナF嬢』


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