【長谷川利行】絵画の買取作家・取扱い一覧

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長谷川利行

長谷川利行
長谷川利行(1891~1940)
京都府出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
自らの感情を前面に出したフォービズム的な画風で裸婦などを中心とした人物画や根岸、浅草などの風景画を描いた作品を多く残しています。
その作風から「和製ゴッホ」とも呼ばれていますが、誰かに師事した事はなく、全て独学で習得したものでした。
ちなみに名前は「としゆき」が本来の読みですが、「りこう」と名乗る時もあったそうです。
 
祖父、父親ともに俳号を持つほどの俳人で、祖父に至っては淀藩稲葉家に召しかかえられた俳諧師で南陽の俳号を持っていた事から、長谷川利行も同人誌を自費発行して詩歌や小説を発表する文学青年でした。
結婚して南海電車運転手として働いていましたが事故を起こしてしまい、その事が原因で離婚となると上京し、大衆小説などを書いて暮らすようになります。
ある日、独学ながら絵を描くようになると1~2時間ほどでれっきとした油絵を仕上げてしまうという天才ぶりを発揮し、アトリエを構えず、思い立ったら絵を描くというスタイルで次々と作品を生み出し、展覧会に出品するなどして少しずつ名声を高めていきました。
しかし、長谷川利行の日常生活は浅草などの貧民街で一日中絵を描いているか、絵を売ったお金で酒を飲み、生活に困った時は知人などに無理やり絵を押し付け借金をしたり、岸田國士ら著名人宅に押しかけて絵を描いては金をせびるなど、生活は荒れていました。
そのため、長谷川利行を知る人たちは長谷川利行の話題を口にする事がほとんどなく、これまでも長谷川利行の行動については分かる事が少なく、長谷川利行の才能が評価されるようになったのは長谷川利行の死後数年経ってからの事でした。
 
そんな長谷川利行にも良き理解者・天城俊彦が現れます。
天城俊彦は新宿で画廊を営んでおり、長谷川利行の個展を頻繁に開催していました。
それでも長谷川利行の酒癖は変わらず、安酒を飲み過ぎたせいで胃潰瘍となってしまい、それは後に胃がんへと発展し、路上で倒れ東京市養育院に収容されてしまいます。
病状はとても悪化しており治療が必要な状態でしたが、長谷川利行は治療を拒否し、そのまま息を引き取りました。
その後、天城俊彦に長谷川利行の死が知らされると、その遺骨を引き取ったそうです。

長谷川利行年表


1891年 京都府で生まれる
1921年 上京する
1923年 第1回新光洋画会展で入選となる
関東大震災のため一時帰郷する
1925年 再上京し、第7回帝展、第13回二科展で入選となる
1926年 第14回二科展で樗牛賞を受賞する
1932年 この頃から浅草近辺の貧民外に住み着く
1939年 胃がんのため三河島の路上で倒れて、東京市養育院に収容される
1940年 胃がんのため49歳で逝去

1891年 京都府で生まれる

1921年 上京する

1923年 第1回新光洋画会展で入選となる

00000年関東大震災のため一時帰郷する

1925年 再上京し、第7回帝展、第13回二科展で入選となる

1926年 第14回二科展で樗牛賞を受賞する

1932年 この頃から浅草近辺の貧民外に住み着く

1939年 胃がんのため三河島の路上で倒れて、東京市養育院に収容される

1940年 胃がんのため49歳で逝去


長谷川利行代表作

『酒売場』

『赤い機関車庫』

『岸田国士像』

『鉄工場の裏』

『女』

『霊岸島の倉庫』

『裸婦』

『カフェ・パウリスタ』

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