フランスの画家で、本名をポール・ギュスターヴ・ドレといいます。
イラストレーターや挿絵画家として活躍し、特に後世の数多くのイラストレーターに強い影響を与えた事で知られています。
その画力は独学で習得したとは思えないほど素晴らしいもので、巧みなデッサン力に加え、裏打ちされた造形感覚による構図、そして背景も丁寧に書き込まれており、高い評価を受けています。
そのためギュスターヴ・ドレが挿絵を手掛けたダンテの「神曲」や「イギリス版の聖書」は20世紀初頭までイギリス、ドイツでも再版を重ねており、非常に高い人気がある事が分かります。
そんなギュスターヴ・ドレは幼い頃からその画才を発揮していました。
ギュスターヴ・ドレの周りのブレス地方の人々に着想を得た風刺画や素描でも注目を集め、12歳の時、地域の印刷屋がヘラクレスの12の功業を描いたギュスターヴ・ドレのリトグラフ集を出版します。
このリトグラフ集がパリの出版者シャルル・フィリポンの目にとまり、ギュスターヴ・ドレはパリに移住し、15歳という若さで画家として活躍をするようになります。
パリでは挿絵画家としてダンテ、バルザック、フランソワ・ラブレー、ミルトンの挿絵を手掛け、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」を手掛けた事から国際的にも有名になります。
この他にもフランスで刊行された120冊以上の書籍に加え、イギリス、ドイツ、ロシアの書籍の挿絵も描いており、社交界でも活躍を見せ、大きな絵画も手掛けています。
ギュスターヴ・ドレは自分の作品を制作する際、40人以上の彫版工を雇っており、物凄い数の作品を手掛けてきました。
そのため、多忙過ぎて心筋梗塞によってこの世を去ってしまいました。
ギュスターヴ・ドレの死後、実業家のアンリ・ルブランがイラストレーション9850枚、音楽作品68曲、ポスター5枚、オリジナルのリトグラフ51枚、淡彩画54枚、素描526枚、水彩画283枚、油絵133枚、彫刻45体の計11015作品からなるドレの解題付き類別目録を出版しています。