17世紀前半のバロック期に活躍したイタリアの画家で、アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属していました。
ラファエロ風の古典主義的な画風が特徴で、「ラファエロの再来」と呼ばれ、ドイツの詩人ゲーテによって「神のごとき天才」とまで激賞されています。
その作風はバロック期の巨匠カラヴァッジョの劇的な構図や明暗の激しい対比が見られるとともに、ルネサンス期の巨匠ラファエロ風の古典主義様式を取り入れたもので、考え抜かれた構図、理想化された優雅な人物表現、柔和な色彩はグイド・レーニの作風の代表的な表現として知られています。
優美な女性像を多く描いていたグイド・レーニですが、大の女嫌いだったようで、母親以外は受け入れる事ができず、召使いでさえ女は雇わなかったそうです。
イタリアのボローニャで生まれたグイド・レーニは、フランドル出身の16世紀のヨーロッパ画壇を席巻したマニエリスム系の画家デニス・カルファートに師事し、数年間の修行の後、地元ボローニャの画家一族であるカラッチ家が主宰する画学校アカデミア・デリ・インカミナーティに入門し、ルドヴィコ・カラッチに師事しました。
またこの時に古典スタイルを学び、自身の作風を確立させました。
その後、ローマに出て本格的に画家として活動を始め、アンニーバレ・カラッチの工房の一員として、カラッチの代表作であるファルネーゼ宮殿天井画制作に参加したり、教皇パウルス5世やその甥にあたる枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの注文を受け作品の制作を行っていました。
しかし、教皇や貴族らの注文を受ける華やかな生活よりも故郷での自由な生活を望んだグイド・レーニはローマに十数年滞在したのち、故郷のボローニャへ戻り、画家として活動を続けました。
ボローニャでは自身の制作はもちろん、後進の指導にもつとめ、生涯独身のままこの世を去りました。