【丸山晩霞】絵画の買取作家・取扱い一覧

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丸山晩霞

丸山晩霞
丸山晩霞(1867~1942)
長野県出身の明治~昭和時代前期に活躍した水彩画家です。
本名は健作(健策)といいます。

実家は養蚕業と蚕種製造業を営む農家で、父は蚕種貿易商として横浜に滞在することが多かったため、土産として持ち帰った錦絵などを見ながら育った事が画家を志すきっかけになりました。

上京すると、画塾・彰技堂で学び、吉田博の写生を見た事をきっかけとし、水彩画家としての道を歩み始めました。

生まれ故郷の山河を愛し、山岳風景画をもっとも得意としていますが、取材範囲は広く、国内はもとより、欧米、アジア各国へ何度も写生旅行に出かけ、作品を残し、太平洋画会・日本水彩画会の創立、水彩画講習所(後の日本水彩画研究所)の設立に参加し、後進の育成に尽力するなど活躍をしました。

また、島崎藤村とも交流があり、藤村が発表した「水彩画家」という作品で自分の私生活を写生したものであり、世間の誤解を受けること抗議した事があったが、これは藤村自身の体験を小説にしたものであり、晩霞の早とちりだったというエピソードが残されています。

丸山晩霞年表

1867年 長野県に生まれる
1879年 祢津小学校卒業、成績優秀で県知事より賞扇を贈られる
1886年 祢津小学校に教員として勤務
1890年 号を晩霞、印を天秀とする
1895年 吉田博を知り水彩画に関心を持つ
1899年 結婚
1900年 世界各国を旅行。長男が生まれる
1901年 帰国
1902年 小諸義塾図画教師に就任。長女が生まれる
1905年 小諸義塾を辞め、上京する
1907年 島崎藤村著「水彩画家」の主人公について、モデル問題起こる
          日本水彩画研究所開設
1908年 小笠原諸島へ写生旅行
1909年 日本水彩画会長野県支部設立
1911年 ヨーロッパへ写生旅行
1912年 帰国
1913年 妻死去。2回目の結婚をする
1914年 次男誕生
1916年 三男誕生
1918年 次女誕生
1920年 四男誕生
1921年 五男誕生
1922年 アジア・インドへ旅行
1926年 樺太へ写生旅行
1929年 満州へ旅行
1935年 満州・朝鮮へ写生旅行
1936年 アトリエ羽衣荘を新設
1939年 九州へ写生旅行
1940年 南洋諸島へ写生旅行
          帰国後、高血圧のため倒れる
1942年 羽衣荘で死去

丸山晩霞代表作

『雨の山里』
『公園』
『初夏の志賀高原』
『春の川辺』
『スペイン農村』

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