【丸木位里】絵画の買取作家・取扱い一覧

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丸木位里

丸木位里
丸木位里(1901~1995)
大正~昭和時代に活躍した日本画家です。
広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区)で農業および太田川で船宿を営む家に生まれました。
妻は洋画家の丸木俊(赤松俊子)で、妹は画家で絵本作家の大道あやです。

上京して南画家・田中頼章に学びますが、関東大震災の為、一時帰省して独学で画技を習得します。
再び上京し、青龍社展などで活躍していました。

広島に原爆が投下されたと聞き、実家の家族の安否を気遣い、妻と共に広島に赴き救援活動に従事します。
この体験を元に妻との共作「原爆の図」「絵本・ピカドン」を発表しました。

原爆の図は、はじめは1部作だけ、その後は3部作だけと考えていましたが今では15部作という大作となり、夫婦で32年間「原爆」を描き続けました。
ピカドンは原爆をテーマにした作品で、初版本は当時の政治的事情により発行禁止処分となり、その際に原画も押収されてしまいました。
現在では妻・俊によって「ひろしまのピカ」として改作され、初版本を元にした復刻版も何種か刊行されています。

作風としては、新しい日本画の創造を目指して抽象的な作品を展開していましたが、戦後は黒を基調とした具象的な画風で「原爆」や、「沖縄」、「虐殺」など戦争を題材にした作品を制作し平和や戦争反対を訴える社会的な作品を展開しました。
53年には国際平和文化賞金賞などを受賞し世界各国の展覧会や個展で発表しています。

また、原爆作品の他にも牛をモチーフにした作品も残しています。

丸木位里年表

1901年 広島県に生まれる
1939年 美術文化協会展に出品(1946年まで)
1941年 洋画家・赤松俊子(のちに丸木俊)と結婚
1945年 広島に原爆が投下。救援活動を行う
1950年 妻と共作し「原爆の図」を発表
1956年 母親が死去
1966年 埼玉県に移住
1967年 自宅近くに「原爆の図丸木美術館」を設立
1979年 ブルガリア国祭具賞展 グランプリ受賞(1985年にも)
1995年 94歳で死去

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