【前田寛治】絵画の買取作家・取扱い一覧

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前田寛治

前田寛治
前田寛治(1896~1930)
人物写実画の名手といわれた日本の洋画家。
1896年(明治29年)10月1日、鳥取県佐伯郡北条町(現北栄町)国坂の豪農の次男に生まれる。
33歳という早世であったが、古典的な構図とフォービズムの描写に卓越した技量を発揮し、裸婦や女性像などの写実的人物画の名手と称されて後 世の洋画界に大きな影響を与えた画家の一人として名を残す。25年(大正14年)には本郷湯島で「自由画室」という私塾を設けて後進の指導にも余念がなかっ た。

はじめは京都の第3高等学校(現京都大学)に進学を希望したが受験に失敗して、画家を志すようになり、大正4年 に東京美術学校に進学、同校では藤島武二、長原孝太郎の両教室に学び、在学中の1920年(大9)より地元倉吉の美術団体「砂丘社」の創立に参加して同人展に出品する。第8回二科展では「花による子供」を出品、第3回帝展にも「花と子供等」を出品し入選する。翌年東京平和博覧会に「立てる子供」を出品、褒状を受賞。
その年1922年~25年の3年フランスに渡仏してアカデミー・グラン・ショミエールに在籍、この間、佐伯祐三、里見勝蔵、小島善太郎らと親交を重ねて帰国後彼らと共に「1930年会」を結成。また25年の第6回帝展「J・C嬢の像」、27年の第8回帝展「横臥裸婦」で共に特選を受賞して29年帝展審査員を務めたが、体調を壊し30年鼻腔内腫瘍により4月16日没。同年の第10回帝展で絶筆となった「海」が帝国美術院賞を受賞。

前田寛治年表

1829年 鳥取県東伯郡北条町(現北栄町)国坂の豪農の次男に生まれる。

1914年 倉吉中学(現倉吉東高等学校)を卒業。

1916年 東京美術学校(現東京芸大)に入学を果たす。

1920年 恩師中井をリーダーとする倉吉の文化団体「砂丘社」に参加し積極的に同人展に出品する。

1921年 東京美術学校卒業して研究所に進級。

1922年 フランスに渡る。

1925年 帰国。

1926年 「1930年協会」を結成する。

1928年 東京杉並区天沼にアトリエ兼自邸を建てて前田写実研究所を開設。

1929年 帝展審査員に選ばれ務めるが病に倒れ、都内の病院に入院する。

1930年 鼻孔内腫瘍により死去。

前田寛治代表作

『ポーランドの姉妹』

『二人の労働者』

『黒衣婦人像』

『裸婦』

『J.C嬢の像』

『海』

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