【中村正義】絵画の買取作家・取扱い一覧

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中村正義

中村正義
中村正義(1924~1976)
愛知県出身の日本画家です。

子供の頃から病弱で、美術学校に行くこともできなかったが、日本画壇の重鎮・中村岳陵の画塾に入門し、22歳で日展に初入選するや数々の作品で入選、受賞を果たし、瞬く間に日展の中心作家となり、36歳の時には最年少で日展の審査員に選ばれ、早世の天才日本画家・速水御舟の再来とまで言われるようになりました。

ところが、「現画壇の体制では自由な表現ができない」と独自に悟り、日展及び、師の画塾蒼野社を脱退し、無所属画家としてモディリアーニやデュビュッフェ、さらにポップ・アートなどを自分流に理解した破天荒な画風に転じ、中でも原色の赤を大胆に塗り重ねた作品群や岩絵の具に膠の代わりにボンドを混ぜ合わせたり、蛍光塗料を用いたりと、日本画には収まらない自由で革新的な問題作を次々に世に送り出すようになり、日本画壇から異端児扱いをされるようになりました。

また、映画用の注文作品や雑誌の表紙なども手掛けました。

終生のテーマに「顔」を取り上げ「絵のすべては自画像」「何を描いても自分自身」と考え自画像の作品は「顔」の連作をはじめとして多種多様な顔作品を残し、その作品の中には口から飛び出た歯を持つ顔、曲がった鼻を持つ顔、更には顔の中に違う顔を描いた作品など一目すると奇形な顔の作品も多数制作しています。

中村正義年表

1924年 愛知県に生まれる
1940年 病気により豊橋市立商業学校を中退
1946年 中村岳陵に師事、日展初入選
1950年 第6回日展に出品 特選
1960年 第3回新日展の審査員
1961年 神奈川県川崎市細山に転居。日展を脱退する
1963年 個展「男と女」を開催
1964年 映画「怪談」のため「源平海戦絵巻」制作
1966年 個展「顔の自伝」開催
1967年 直腸がんの手術を受ける
1969年 個展「太陽と月のシリーズ」開催
1970年 写楽研究の成果「写楽」を出版
          東京造形大学区の日本画教師となる
1974年 人人会を結成 第1回人人展を開催
1975年 東京展実行委員会事務局長として展覧会開催に奔走
          第1回東京展を実現させ出品
1977年 4月16日 肺がんのため52歳で死去

中村正義代表作

『萬松寺不動堂八大童子』
『ピエロ』
『女(赤い舞妓)』
『舞妓(白い舞妓)』
『舞子(黒い舞子)』
『男と女』
『顔』
『うしろの人』

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