東京出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
画家・難波田龍起の次男として生まれました。
小学生の頃に教師のすすめで油絵を始め、絵の面白さを知りました。
高校の時に画家になることを決め、大学進学を断念し、文化学院美術科に入学しますが指導方針になじめず、2年で中退し、独学で絵を描くようになりました。
その画風はペンと水彩を用いて、なぐり描きのようなタッチと強烈な色彩の、人物や建物が浮遊する独特の世界を展開しました。
これは、史男の心に存在するもう一つの世界のイメージをデッサンしたものだと言われています。
早稲田大学第一文学部美術専攻科に入学すると岡本謙次郎のすすめで初個展を開催し、父と親子二人展を開くなど活躍をしますが、翌年、九州旅行の帰りに瀬戸内海を航海中のフェリーより転落し行方不明となり、1ヶ月後に遺体として発見されました。
画家として活躍した10年という短い期間で2000点を越える作品を制作し、亡くなった跡も相次いで遺作展が開かれました。