滋賀県出身の昭和時代前期に活躍した日本の洋画家です。
造酒業を営む裕福な家の次男として生まれました。
父親は村の初代村長をつとめています。
美術愛好家の祖父と親交があった富岡鉄斎が野口家に居候していたり、伯父の妻・野口小蘋は明治時代に活躍した女流画家であった事から幼い頃より一流の画家と美術品に囲まれて育ち、その影響を受け絵を描く事が好きな少年に育ちました。
画家になるために東京美術学校西洋画科を従姉の家から通い、黒田清輝、和田英作に指導を受けました。
卒業後は自分の画風確立に適している土地を求め、故郷へ戻り帝展入選を目指して制作活動を開始しますが、更なる画技向上のため、日本画を平福百穂に習い、洋画の制作を一時中断します。
日本画の勉強を終え、帝展に出品すると見事に入選を果たし、以後、数々の賞を受賞する活躍を見せました。
画家としてこれからと言う時にカタル性黄疸のため43歳という若さで亡くなってしまいました。
また、一度も日本から離れた事がなく、太く力強い描線を大きな特徴として新しい日本的洋画を表現しました。