ニキ・ド・サンファルを買取ります
ニキ・ド・サンファルはフランスの画家、彫刻家などの顔を持つ戦後を代表する女性の芸術家で、アメリカやフランスの抽象絵画に影響を受け独自のスタイルを築き上げ、女性をテーマにしたパンチのある作品で広く知られています。
ニキ・ド・サンファルはフランスのパリ郊外でアメリカ人の母とフランス人の父との間に5人兄弟の第2子として生まれました。
父親はフランス貴族の銀行家でしたが丁度その頃、世界的規模の経済不況である世界大恐慌により仕事と全財産を失い、生後すぐに祖母に預けられました。
後にアメリカに家族揃って移住しています。
移住後は素行不良により転学を繰り返す事になってしまいますが、在学中からモデルとして活動しており、ヴォーグなどの多くのファッション誌の表紙を飾るなど活躍していました。
その後、親や周りの反対を押し切り、駆け落ち結婚をして2人の子供を授かりましたが、離婚となってしまいました。
離婚後にパリを訪れ、演劇学校に入学しましたが神経衰弱に陥り、治療の一環として絵を描き始めることがきっかけとなり芸術家を目指すようになりました。
この頃の作品には、広く知られているニキ・ド・サンファルの代表作「ナナ」シリーズの出現を予感させる程の実力が見えていました。
ニキ・ド・サンファルは正規な美術教育を受けていませんが、離婚後に同棲していた動く彫刻で知られている芸術家のジャン・ティンゲリーの影響を受けた、レリーフを銃で撃って当たると絵具が飛び出るという「射撃絵画」を生み出し、衝撃的なデビューを飾りました。
やがて作品は平面から立体作品へと移行していき、次々と作品を発表していきます。
ニキ・ド・サンファルの魅力は彫刻を石やブロンズなどの伝統的素材にこだわらずに自由で柔軟なところあります。
素材にポリエステルを使う事で独自の柔らかなラインを生み出し、屋外に置ける巨大彫刻や彩色彫刻が可能になりました。
また、絵画や彫刻だけではなく舞台や映画製作の他にも「タロット・ガーデン」と呼ばれる彫刻庭園を作るなど芸術家として様々な活動に取り組んでおり、芸術家としてその名を残しました。
1930年 フランスで生まれる
1948年 「ヴォーグ」「ライフ」などのファッション雑誌のモデルをつとめる
1950年 神経衰弱にかかり入院した後、絵を描きはじめる
1960年 「射撃絵画」のパフォーマンスを開始する。
1966年 ストックホルム現代美術館にて作品を展示し、注目を浴びる
1971年 彫刻家ジャン・ティンゲリーと再婚し、スイス国籍を取得する
1978年 「タロット・ガーデン」の建造を始める(20年をかけて完成させる)
1982年 パリ市の要請によりポンピドゥー・センター広場に噴水彫刻をティンゲリーと共同で制作する
2000年 高松宮殿下世界文化賞を受賞する
2002年 アメリカ・サンディエゴで71歳で逝去
1930年 フランスで生まれる
1948年 「ヴォーグ」「ライフ」などのファッション雑誌のモデルをつとめる
1950年 神経衰弱にかかり入院した後、絵を描きはじめる
1960年 「射撃絵画」のパフォーマンスを開始する。
1966年 ストックホルム現代美術館にて作品を展示し、注目を浴びる
1971年 彫刻家ジャン・ティンゲリーと再婚し、スイス国籍を取得する
1978年 「タロット・ガーデン」の建造を始める(20年をかけて完成させる)
1982年 パリ市の要請によりポンピドゥー・センター広場に噴水彫刻をティンゲリーと共同で制作する
2000年 高松宮殿下世界文化賞を受賞する
2002年 アメリカ・サンディエゴで71歳で逝去