【ラウル・デュフィ】絵画の買取作家・取扱い一覧

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ラウル・デュフィ

ラウル・デュフィ
ラウル・デュフィ(1877~1953)
ラウル・デュフィは野獣派に分類されるフランス画家です。
色の魔術師と呼ばれ、フランスを代表する近代画家としても知られています。
 
ラウル・デュフィはフランスのノルマンディー地方のル・アーヴルという港町で9人兄弟の長男として生まれています。
金属会社の会計係で音楽愛好家の父と、ヴァイオリニストの母というアーティストとして才能が開花しやすそうな環境で育ちました。
後に家計を助ける為に14歳の時に貿易会社で働く事を決意し、サン・ジョセフ中学校を離れており、その後、ル・アーヴルとニューヨークを結ぶ定期船のラ・サヴォアで秘書をしていました。
 
18歳になるとル・アーヴル市立美術学校の夜間講座に通い始め、ずっと愛し続けたモチーフであるル・アーヴルの港をスケッチしていたそうです。
この時、利き腕で描くと筆が走り過ぎる事を懸念し、逆手で描いていたとされています。
また友人と共に美術館で巨匠たちの模写を行っていたそうです。
 
ラウル・デュフィは一年間の兵役を終えると、奨学金を得てパリの国立美術学校であるエコール・デ・ボザールで学び、印象主義の画家であるモネやゴーギャン、ゴッホ、ピサロなどに影響を受けたといわれています。
その後、リアリズムへの興味を失くし、フォービズムへと傾倒していきます。
 
ラウル・デュフィはその後、結婚し生活の為に木版画の制作をスタートしています。
また、結婚した翌年にフォービズムから離れ、ファッションの業界でもデザイナーとして活躍します。
その他にも、舞台デザインやイラストレーター兼アーティストとして活躍しています。
しばらくすると、再び絵画に取り組むようになり、光=色彩という独自の理論を確立させています。
後にヴェネチア・ビエンナーレで国際大賞を受賞していますが、その翌年、フランスのフォルカルキエにて心臓発作でこの世を去る事となりました。
そんなラウル・デュフィの作品は現在でも多くの人々に魅了しています。

ラウル・デュフィ年表


1877年 ル・アーヴルで生まれる
1899年 奨学金を得て、パリの国立美術学校で学ぶ
1905年 アンリ・マティスの作品に刺激を受け、フォービズムの手法で描くようになる
1906年 サロン・ドートンヌに初出品する
1908年 レスタックに滞在する
1900年 この頃に木版画など絵画以外の仕事をする
1920年 南仏とノルマンディーを行き来する
1936年 パリ万国博覧会電気館の壁画の制作を開始する
1941年 ペルピニャンにアトリエを構える
1952年 第26回ヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受賞する
1953年 フォルカルキエで逝去

1877年 ル・アーヴルで生まれる

1899年 奨学金を得て、パリの国立美術学校で学ぶ

1905年 アンリ・マティスの作品に刺激を受け、フォービズムの手法で描くようになる

1906年 サロン・ドートンヌに初出品する

1908年 レスタックに滞在する

1900年 この頃に木版画など絵画以外の仕事をする

1920年 南仏とノルマンディーを行き来する

1936年 パリ万国博覧会電気館の壁画の制作を開始する

1941年 ペルピニャンにアトリエを構える

1952年 第26回ヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受賞する

1953年 フォルカルキエで逝去


ラウル・デュフィ代表作


『サンタドレスの浜辺』
『海の女神』
『電気の精』
『三十年、或いは薔薇色の人生』

『サンタドレスの浜辺』

『海の女神』

『電気の精』

『三十年、或いは薔薇色の人生』


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