ロッソ・フィオレンティーノはイタリア出身の画家です。
ルネサンス後期の美術であるマニエリスムの様式をフランスに伝える役割を果たした事でも知られています。
ロッソ・フィオレンティーノはイタリアのトスカーナ州にあるフィレンツェの生まれで、本名はジョバンニ・バティスタ・ディ・ヤコポといいます。
ロッソ・フィオレンティーノは同時期に同じく活躍していたヤコポ・ダ・ポントルモと同じ工房で修業していました。
この頃は版画というジャンルを確立し、初めてモノグラムを使用したアルブレヒト・デューラーなどの作風を学び、鮮やかではっきりとした色彩を用いて幻想的、独創的な人物像をえがいています。
ロッソ・フィオレンティーノは後にローマに渡っています。
ローマではラファエロ・サンティの弟子や非現実的で引き伸ばされた官能美に富んだ独自の洋式を生み出したパルミジャニーノなどと親交を深めながら礼拝堂などのフレスコ画を制作しています。
しかし、ローマ皇帝でスペイン王でもあったカール5世のローマ略奪に巻き込まれ、ヴェネツィアを経由しフランスを訪れています。
フランスでは、フランソワ1世の希望でフォンティーヌブロー城へ赴き他の制作者と共に宮殿内の壁面装飾を行ったとされています。
この功績の後にはフォンティーヌブロー派というグループが生まれるきっかけとなったそうで、フランス美術の方向性に大きな影響を与えたといわれています。