【ラグーザ玉】絵画の買取作家・取扱い一覧

0120-226-590 営業時間 9:00~19:00(年中無休)
買取品目一覧

ラグーザ玉

ラグーザ玉
ラグーザ玉(1861~1939)
ラグーザ玉は日本人女性洋画家で、本名を清原多代といいます。
イタリアの彫刻家・ヴィンツェンツォ・ラグーザと結婚した事で西洋名エレオノーラ・ラグーザを名乗るようになります。

若い頃から日本画、西洋画を学んでおり、工部美術学校で彫刻科の講師として来日していたヴィンチェンツォ・ラグーザと出会い西洋画の指導を受け、ヴィンチェンツォの作品のモデルもつとめた事からその仲は親密なものへと変わっていき、やがて二人は結婚します。
ヴィンツェンツォに伴われ、姉夫婦と共にイタリアへ渡り、パレルモに開いた工芸学校の校長となったヴィンツェンツォは画家としても活躍します。
一方ラグーザ玉はパレルモ大学美術専攻科に入学し、サルバトーレ・ロ・フォルテに師事し、洋画家としての才能を開花させていき、ヴィンツェンツォが校長をつとめるパレルモの工芸大学で絵画教師をつとめるまでになり、副校長としてもヴィンツェンツォを支えていました。
イタリアでの生活は次々と立ちはだかる障壁を乗り越えた生活でしたが、幸せな日々を過ごしていました。
それはラグーザ玉が日本語を喋る事ができなくなった事が充実した日々を過ごしていた証です。
しかし、ヴィンツェンツォが亡くなり、ラグーザ玉は日本への帰国を希望しますが、なかなか受け入れられず、簡単には戻る事ができません。
そんなラグーザ玉の存在を知ったとある新聞社がラグーザ玉の人生を連載小説として発表し、帰国する事ができました。
帰国してからのラグーザ玉は旧姓の清原に戻り、生家で絵を描き続け、画業に専念し、その生涯を閉じています。

また、夫・ヴィンチェンツォの遺作を東京美術学校に多数寄贈しています。

ラグーザ玉年表

1861年 江戸に生まれる
1877年 ヴィンチェンツォ・ラグーザと出会い、西洋画の指導を受ける
1880年 イタリアに渡りパレルモ大学美術専攻科に入学
1884年 ヴィンチェンツォがパレルモに工芸学校を開設 絵画科の教師をつとめる
1927年 夫が亡くなる
1933年 帰国
1939年 脳溢血で死去

ラグーザ玉代表作

薔薇
薔薇

『静物』

『パンジー』

ラグーザ玉高価買取ならいわの美術にお任せください!

お問い合わせ・無料査定はこちら

美術店なので美術品、絵画、骨董品、宝飾品、ブランド品なども他店より高価買取!

全国出張買取
宅配買取
出張買取
遺品整理のご案内
はじめての方へ
いわの美術の強み
いわの美術の買取専門サイト
お酒買取専門店
茶道具高価買取
骨董品高価買取
着物買取専門店
SSL グローバルサインのサイトシール
お問い合わせ・無料査定はこちらPage Top