【曽宮一念】絵画の買取作家・取扱い一覧

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曽宮一念

曽宮一念
曽宮一念(1893~1994)
東京都出身の明治~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
大の雲好き、海好きで知られ、海も大荒れに荒れた悪天候時の海に心惹きつけられるものがあったそうで、作品には雲や海がモチーフとして多数登場しています。
そのため、「雲の絵描き」などと呼ばれ、結核で入院中だった時も病床の窓から毎日のように山と雲を眺めてはスケッチを怠らなかったというエピソードが残されています。
 
曽宮一念の本名は下田喜七(しもだきしち)といい、新聞社の編集長などをつとめた曽宮六佑の養子となり、曽宮姓を名乗るようになりました。
そんな曽宮一念が小学生の頃、授業で図画の写生法を初めて知ると美術に興味を持つようになり、中学校では美術部に所属しました。
水彩画会研究所の日曜教室では大下藤次郎、丸山晩霞、赤城泰抒らに水彩画を学びましたが北海道大学林学部進学を考えるようになりました。
しかし、父親の希望で東京美術学校を受験する事となり、その準備のため白馬会研究所でデッサンを学びます。
こうして中学を卒業すると東京美術学校西洋画科に入学し、大下藤次郎、藤島武二、黒田清輝に指導を受けます。
東京美術学校在学中に光風会に初入選し、文展で褒状を受けるなど画家としての才能を見せはじめた曽宮一念は、卒業するとアトリエを建て、本格的に画家として活動を始めます。
 
二科展、国画展など様々な展覧会に出品を重ねた曽宮一念は、奔放な筆触と大胆な色調による独自の風景表現を築きあげましたが、画家としてもまだまだこれからという時に緑内障を患い、視力を失ってしまったため所属していた美術団体を退会し、無所属として活動を続けました。
しかし、視力が完全に失われてしまうと絵を描く事は辞め、文筆にも優れた才能を見せていたため、文筆や書、エッセイなどを発表し、随筆集『海辺の熔岩』は日本エッセイストクラブ賞を受賞するなど晩年は随筆家として活躍しました。

曽宮一念年表


1893年 東京都で生まれる
1894年 曽宮禄祐の養子となる
1911年 東京美術学校西洋画科に入学する
1914年 第8回文展で褒状となる
1921年 アトリエを建てる
1925年 第12回二科展で樗牛賞を受賞する
旧制静岡高校の講師となる
1927年 結核のため入院する
1931年 二科会会員となる
1935年 独立美術協会会員となる
1944年 静岡に疎開する
1945年 静岡・富士宮に移り住む
1946年 国画会会員となる
1967年 渡欧する
1971年 完全に失明し、画業を引退する
1987年 静岡県立美術館で回顧展が開催される
1994年 101歳で逝去

1893年 東京都で生まれる

1894年 曽宮禄祐の養子となる

1911年 東京美術学校西洋画科に入学する

1914年 第8回文展で褒状となる

1921年 アトリエを建てる

1925年 第12回二科展で樗牛賞を受賞する

00000年旧制静岡高校の講師となる

1927年 結核のため入院する

1931年 二科会会員となる

1935年 独立美術協会会員となる

1944年 静岡に疎開する

1945年 静岡・富士宮に移り住む

1946年 国画会会員となる

1967年 渡欧する

1971年 完全に失明し、画業を引退する

1987年 静岡県立美術館で回顧展が開催される

1994年 101歳で逝去


曽宮一念代表作


『工部大学』
『風景』
『平野夕映え』
『裾野の雲』
『スペインの野』

『工部大学』

『風景』

『平野夕映え』

『裾野の雲』

『スペインの野』


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