アメリカの画家で鳥類研究家としても知られており、北アメリカの鳥類を自然の生息環境の中で極めて写実的に描いた博物画集の傑作『アメリカの鳥類』を出版した事でとても有名です。
これまでの図鑑などは標本をもとにして描かれている事が多かったのですが、ジョン・ジェームズ・オーデュボンの『アメリカの鳥類』は生きた鳥が自然の生息環境の中で躍動的に描かれており、全ての鳥類が実物大で描かれている事が大きな特徴で、当時はとても斬新なものでした。
そんなジョン・ジェームズ・オーデュボンが生まれたのは西インド諸島のフランス領サント・ドミンゴ島(現・ハイチ)で母親はフランス人の小間使いをしていました。
しばらくして母親が亡くなるとフランス人船長オーデュボンの養子として引き取られフランスへ渡ります。
フランスでは絵を学びますが、ナポレオン政権での徴兵を逃れるため父親の命令でアメリカへと渡ります。
アメリカではフィラデルフィアの近くにあった父親の農場で仕事をしながら鳥の絵を描き続け、ケンタッキーで雑貨店を営むようになります。
しかし、店の経営は共同経営者に任せ、自分自身はアメリカ各地を旅して回り、鳥の観察を続けました。
また、投機ブームにのって土地・木材・製材所・蒸気船など次々と出資しましたが、経済不況のあおりを受けると借金を背負う事になり、破産してしまいます。
こうして無一文となったジョン・ジェームズ・オーデュボンですが、鳥類への情熱は消える事がありませんでした。
北アメリカの鳥類を描いた画集の出版を思いついたジョン・ジェームズ・オーデュボンは、アメリカ中の出版社に掛け合いますが、どこも引き受けてはくれませんでした。
似顔絵を描き、金持ち相手の絵やダンスの家庭教師などのアルバイトで生活費を稼ぎ、妻ルーシーは家庭教師、教師として息子二人を育てながら生計を立てていました。
そんな中ジョン・ジェームズ・オーデュボンが次に目を向けたのがイギリスでした。
すぐに出版してくれる出版先も見つかり、1827年から刊行され1838年まで実に10年以上の歳月を経て『アメリカの鳥類』は完成しました。
この『アメリカの鳥類』は画家、科学者、猟師、自然愛好家というジョン・ジェームズ・オーデュボンの4つの顔が見事に調和した作品で、アメリカでも出版され、今でも世界中の多くの人々を魅了しています。
また、ジョン・ジェームズ・オーデュボンは鳥の観察、研究のために多くの鳥を撃ち落としてきましたが、同時にアメリカの各地で行われている森林破壊や野生動物の無差別な殺戮を見て、自然保護の必要性を感じ、その保護を主張してきました。
その後、保護区のレンジャーが羽飾り用の白サギの密猟者に撃ち殺された事件をきっかけに、全米中に自然保護運動が広がり、ジョン・ジェームズ・オーデュボンの死後30年を経て弟子のグリンネルによって自然保護組織「ナショナルオーデュボン協会」が発足されました。