【ジョルジョ・デ・キリコ】絵画の買取作家・取扱い一覧

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ジョルジョ・デ・キリコ

ジョルジョ・デ・キリコ
ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)

ジョルジョ・デ・キリコを買取ります

 
イタリアの画家で形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた事で知られ、ピカソが最も恐れた画家と言われています。
「形而上絵画」とは「形のないもの、超自然的なもの」という意味を持ち、目に見えるものや形のあるものを描くのではなく、その奥に潜む「何か」を神秘や深層的に表現したキリコ独自の画風です。
アーチの並ぶ古典的な建築物や古代ギリシャ風の彫刻がどこかに描かれる風景画や、マネキンと呼ばれる顔の無い人物像の腕は長く足は極端に短く、そして胴の部分にはなぜか古代ギリシャの神殿をモチーフにした風景画が描かれているといったもの、また、どこかで見た事がある風景を描いている作品では走っている汽車の煙がまっすぐ立ちのぼっていたり、時計が正午を指しているのに夕方のように長い影が描かれていたりする部分が「形而上絵画」なのです。
また、キリコの作品は意図的に作品に間違った制作年のサインを入れているものもあり、その真相は明らかにされていません。
 
そんなキリコはイタリア人の両親のもとギリシャで生まれました。
青年期をミュンヘンで過ごした後、パリで画家としてデビューしており、当初から不思議な作品を描いていました。
ミラノ、フィエンツェ、パリ、ローマ、ニューヨークなど様々な場所を転々として制作活動を行っており、自らの画風を確立していきました。
第一次世界大戦が勃発するとイタリア軍に召集され、北イタリアのフェッラーラに駐屯する事になります。
ここでは繊維工場が発する麻を煮る臭いが街に充満しており、その麻薬効果がキリコの画風に影響を与えたと言われ、神経的にも衰弱してしまいました。
その後も画家として作品を発表し続け、晩年には初期の頃の作品を模倣し、自分の作品だと言う奇行も見られましたが、90歳まで長生きしました。

ジョルジョ・デ・キリコ年表


1888年 ギリシャで生まれる
1891年 弟アンドレアが生まれる
1900年 アテネの理工科学校に通う
1905年 父親が亡くなる
1906年 家族とともに、ギリシャを離れフィレンツェに移住する
1907年 ドイツのミュンヘンの美術アカデミーに入学する
1909年 ミラノに移住する
1910年 フィレンツェに移住する
1911年 パリに移住する
1912年 3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品する
1913年 パリのアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品する
初めて絵の買い手が現れる
1915年 第一次世界大戦が勃発し、イタリア軍に召集される
1916年 詩人トリスタン・ツァラと親交を結ぶ
1917年 フェッラーラでカルロ・カッラと知り合う
1918年 前衛美術雑誌『造形的価値』を創刊する
1919年、 ローマで個展を開催する
ジョルジョ・モランディと知り合うルネッサンス絵画の模写を始める
1920年 「形而上芸術について」「技法への帰還」などを出版する
1921年 テンペラ画を描き始める
ベルリンの国立ギャラリーにて、大規模な「造形的価値グループ展」を開催する
1923年 ローマ・ビエンナーレに出品する
フィレンツェ、ローマに住む
1924年 ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚する
第14回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品する
1925年 パリへ移住する
1926年 ニューヨークで初の個展を開催する
1929年 小説『エブドメロス』出版する
1931年 ミラノへ戻る
1932年 フィレンツェへ移住する
1935年 ニューヨークへ移住する
1938年 イタリアへ戻る
ローマに短期滞在し、ミラノへ移住する
1942年 ミラノの家を引き払い、フィレンツェへ移住する
1944年 ローマへ移住する
1978年 11月20逝去

1888年 ギリシャで生まれる

1891年 弟アンドレアが生まれる

1900年 アテネの理工科学校に通う

1905年 父親が亡くなる

1906年 家族とともに、ギリシャを離れフィレンツェに移住する

1907年 ドイツのミュンヘンの美術アカデミーに入学する

1909年 ミラノに移住する

1910年 フィレンツェに移住する

1911年 パリに移住する

1912年 3点の絵画をサロン・ドートンヌに出品する

1913年 パリのアンデパンダン展、サロン・ドートンヌに出品する

00000年初めて絵の買い手が現れる

1915年 第一次世界大戦が勃発し、イタリア軍に召集される

1916年 詩人トリスタン・ツァラと親交を結ぶ

1917年 フェッラーラでカルロ・カッラと知り合う

1918年 前衛美術雑誌『造形的価値』を創刊する

1919年、 ローマで個展を開催する

00000年ジョルジョ・モランディと知り合うルネッサンス絵画の模写を始める

1920年 「形而上芸術について」「技法への帰還」などを出版する

1921年 テンペラ画を描き始める

00000年ベルリンの国立ギャラリーにて、大規模な「造形的価値グループ展」を開催する

1923年 ローマ・ビエンナーレに出品する

フィレンツェ、ローマに住む

1924年 ライサ・グリエヴィッチ・クロルと結婚する

00000年第14回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品する

1925年 パリへ移住する

1926年 ニューヨークで初の個展を開催する

1929年 小説『エブドメロス』出版する

1931年 ミラノへ戻る

1932年 フィレンツェへ移住する

1935年 ニューヨークへ移住する

1938年 イタリアへ戻る

00000年ローマに短期滞在し、ミラノへ移住する

1942年 ミラノの家を引き払い、フィレンツェへ移住する

1944年 ローマへ移住する

1978年 11月20逝去


ジョルジョ・デ・キリコ代表作


『通りの神秘と憂愁』
『ヘクトールとアンドロマケの別れ』

『通りの神秘と憂愁』

『ヘクトールとアンドロマケの別れ』


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