神奈川県出身の昭和~平成時代に活躍する日本の洋画家です。
愛知県立芸術大学開校と同時に講師として赴任し、教授、名誉教授、学長をつとめ、多くの後進の指導にあたってきました。
展覧会や画廊の個展を中心に作品を発表しており、多くの人物像を残しています。
幼い頃から絵を描く事が大好きであった島田章三は、中学生の時に出品した納税ポスターコンクールで大蔵大臣賞を受賞した事がきっかけで画家になる事を志すようになります。
高校時代では美術部に入部しており、東京藝術大学に入学します。
当時の東京藝術大学の倍率は16倍という高倍率で、普通3~4年間研究所などで絵画の勉強をしなければ合格できないといわれている難関校でした。
東京藝術大学在学中に国画会展に初出品すると国画賞を受賞し、福島繁太郎の推薦によって個展を開催しました。
こうして画家の登竜門とも呼ばれる安井賞を受賞すると画家として本格的に生きていこうと決心します。
しかし、絵を描くための絵具が高価なものが多く、画材代を捻出するのに苦労する日々が続きます。
東京藝術大学を卒業すると横浜にある岩崎学園で研究所を開設しますが、やはり生活は苦しいものでした。
そのためタカナシ乳業の社報の表紙絵を描いた原稿料で画材を揃えていました。
そんな中、愛知県立芸術大学が開校するにあたり、東京藝術大学時代に師事していた教授に講師として推薦されました。
こうして安定した生活を手に入れ、愛知県在外研究生として1年間フランスへ派遣され、パリに滞在してスペイン、イタリアを周り、日常的や精神的なテーマに傾倒し、造形の革新を追求して一目瞭然でそれと分る島田様式を確立しました。
帰国後は愛知県立芸術大学の教授や学長をつとめ、昼間は学校の運営に関わる業務をこなし、夜間に絵を描くという画家としての制作活動を行っています。
また、油彩画だけではなく版画の作品も残しています。