佐賀県出身の昭和~平成時代に活躍した日本画家です。
可憐で正統派の最後の美人画家とも称され、美人画で有名な伊東深水の教えを守り抜いた美人画を描く事で知られています。
ただ、伊東深水の教えをそのまま反映させた作品ではなく、簡略化した構図に独自の領域を築き、立石春美の美人画からは日本の奥ゆかしさと気品、節度を併せ持った日本人女性の典型的な美を表した作品となっています。
幼い頃から絵を描く事が大好きだった立石春美は画家になるために上京し、鏑木清方にその才能を認められました。
鏑木清方の一番弟子でもあった伊東深水を紹介してもらい、伊東深水が主宰する朗峯画塾で画技を磨いていきます。
その才能はすぐに開花し、翌年には帝展で初入選を果たしています。
こうして新文展や官展系に出品を重ね、名声を高めていった立石春美は、戦後になると日展で活躍するようになります。
その名声を聞きつけたがんの権威である中山恒明医博から華岡青洲を題材にした作品を依頼され、「麻睡実験する図」を制作しています。
ちなみに華岡青洲は江戸時代の外科医で、世界で初めて全身麻酔を用いた手術を成功させたと記録に残されている人物です。