テオドール・ルソーは19世紀頃に活動していたバルビゾン派を代表するフランスの画家です。
テオドール・ルソーはフランスのパリ南部にあるバルビゾン村に住み着いた写実的な風景画や農夫画を描き続けたバルビゾン派と呼ばれる一派を代表する画家で知られています。
テオドール・ルソーはパリの裕福な仕立屋で生まれ、若き頃から自然への関心が高く、画材を背負いフランス各地の山野を巡り、広く知られていない田舎を好んで描いていたといわれています。
19歳の頃のサロン初入選から数えて3年後にフランスの公爵により作品が買い上げとなりますが、当時の西洋絵画では歴史画に重きが置かれており、肖像画、風俗画に続き風景画はワンランク下であると考えられていました。
また、古典派の画家達による激しい嫉妬により、テオドール・ルソーの作品は中傷を浴びせられ10数年もの間、実力がありながらもサロンに入選することが出来ずに「落選王」というあだ名で揶揄されていた時期も志を変えず風景画にこだわり続けた後に、夏の重々しい太陽光や嵐の瞬間の暗い明るさを表現することに成功しました。
そんな中、2月革命後のサロンは新体制へと変革しました。
これはテオドール・ルソーにとっても好機となり、金メダルを受賞し正統派の画家として復活します。
その後もパリ万国博覧会で展示室1室を与えられるほどに地位を確立し、それからおよそ12年後の万国博覧会で審査委員長に任命されるなど活躍しますが、同年に惜しまれながらもバルビゾンで仲の良かった画家のフランソワ・ミレーの腕に抱かれながらこの世を去りました。
テオドール・ルソーとミレーの逸話にはお互いの作品にサインを入れ合っていたというエピソードが残されているほど仲が良かったそうです。