北海道出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
自然をモチーフにした作品が多く、日本国内だけではなく北欧のフィヨルドやアルプスの氷河を題材にした作品を残しています。
赤を基調とした鮮やかな色彩で大胆な画風で描かれる作品はフォービズムの画家である事を感じさせてくれる反面、写実性を優先する事なく、自らの心の内とモチーフから得たインスピレーションをそのまま絵にするシュルレアリスムの傾向も感じる事ができます。
呉服商・田辺家の養子になり田辺姓を名乗るようになった田辺三重松は函館商業学校在学中に日本画家・北条玉洞の指導を受ける機会があり、絵画に興味を抱くようになりました。
そして函館ではじめて本格的な美術団体「赤光社」の創立に参加し、制作活動を開始します。
また、家業の呉服商を継ぐ一方、北海道展に出品をしており、家業が廃業となると小学校教員として働きながら二科展に出品をするようになりました。
二科展ではフォービズム的な作風で初入選となり、石井柏亭、安井曾太郎、児島善三郎らの指導を受け、出品を続け二科会会員となり、行動美術協会創立会員として北海道画壇を代表する画家にまで成長しました。
雄大な北海道の自然の中で育った田辺三重松は、自然をそのままキャンバスに描き残したいと写真に頼らず、現場へ直接赴きスケッチを行ってから制作を行う事が多く、ある日雪山でスケッチを行っていた時に網膜剥離となり右目を失明する出来事が起こってしまいました。
しかし、画家としての活動は抑制するどころか衰える事はなく、晩年になってもアメリカやヨーロッパなどの出向き、制作活動を行っていました。