【東郷青児】絵画の買取作家・取扱い一覧

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買取品目一覧

東郷青児

東郷青児
東郷青児(1897~1978)
鹿児島県出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
未来派ないしキュビズムを叙情化した甘美な装飾的作風の女性像で知られており、独特のデフォルメした柔らかな曲線と色調が高く評価されています。
昭和の美人画家として一世を風靡した東郷青児の作品は本や雑誌、包装紙などにも多数起用されており、現在でも心奪われたファンも多く、目にする機会の多い作家として知られています。
また、派手なパフォーマンスで二科会の宣伝に尽力し、「二科会のドン」などと呼ばれていました。
 
鹿児島で生まれた東郷青児の本名は東郷鉄春といい、幼い頃に一家で東京に引っ越してきました。
「青児」という画号は13歳の時から使用しており、これには青山学院中等部に在籍していた事が関係しているともいわれています。
特に誰かに師事して絵を学んだわけでもない東郷青児は独学で絵を描くようになり、青山学院中等部を卒業すると大正ロマンを代表する画家として知られる竹久夢二が開いた港屋絵草紙店に出入りし、夢二画の下絵描きなどを手伝っていました。
しかし、竹久夢二の妻・たまきと深い関係となった事で竹久夢二の逆鱗に触れ、妻・たまきとの関係発覚後は港屋絵草紙店を訪れる事はありませんでした。
ちなみに東郷青児の人生の中で女性とのスキャンダルは多く、既婚中にも関わらず別の女性と結婚式を挙げたり、心中を試みるなど数奇な人生を送っており、そんな出来事さえも作品の題材として用いる事もありました。
 
その後、山田耕筰と出会い、東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作を行うようになり日比谷美術館で初めての個展を開催しました。
また、有島生馬を知ると師事し、本格的に絵を学ぶためにフランスへ留学しています。
7年間のフランス滞在中は殺しと男娼以外は様々な職を転々として食い繋ぎながら絵の勉強をしており、苦労人でもありました。
この時にパブロ・ピカソらと交流し、ピカソの影響を受けたキュビズム的な作品を発表するようになりました。
 
日本に帰国してからは二科会で活躍を見せており、日本芸術院会員、二科会会長など日本画壇のリーダー的存在となりました。
また、彫刻や版画も手掛けており、絵画以外にも才能をみせています。
 

東郷青児年表


1897年 鹿児島県で生まれる
1914年 青山学院中等部を卒業する
1915年 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作を行う
日比谷美術館で初個展を開催する
この頃有島生馬を知り、師事する
1916年 第3回二科展で初出品作が二科賞を受賞する
1919年 仁科会会友に推挙される
1921年 フランスに留学する
1922年 リヨン美術学校に学ぶ
1928年 帰国する
第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品する
第1回昭和洋画奨励賞を受賞する
1930年 ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」を翻訳、白水社より刊行される
1931年 二科会に入る
1934年 西崎みつ子と結婚する
1938年 二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる
1940年 紀元二千六百年奉祝美術展に出品する
1943年 第6回新文展審査員となる
1944年 二科会が解散となる
1945年 二科会を再建する
1946年 再建第1回二科会を開催する
1950年 二科会35周年記念展で功労賞を受賞する
1951年 歌舞伎座緞帳「女の四季」が完成する
1952年 第1回日本国際美術展に出品する
壁画「平和と団結」が完成する
1957年 壁画「創生の歌」が第13回日本芸術院賞を受賞する
第4回日本国際美術展で大衆賞を受賞する
1959年 第5回日本国際美術展で大衆賞を受賞する
第2回新日展に招待出品する
1960年 日本芸術院会員となる
第3回新日展に招待出品する
1961年 第4回新日展に招待出品する
二科会会長に就任する
1962年 パリ滞在する
パリ市よりラ・メダイユ・ダルジャン授与される
サロン・ドートンヌ名誉会員となる
1965年 二科会功労賞を受賞する
1969年 フランス政府よりオフィシェ・ドルドル・デ・ザール・エ・レットルを授与される
1970年 勲三等旭日中綬章を受章する
1971年 ホオズ宮殿二科展に出品する
1972年 カイロ二科展に出品する
1976年 東京・西新宿に東郷青児美術館が開設される
勲二等旭日重光章を受章する
1978年 4月25日熊本市にて急性心不全のため逝去
没後、文化功労者、正四位追贈される

1897年 鹿児島県で生まれる

1914年 青山学院中等部を卒業する

1915年 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作を行う

00000年日比谷美術館で初個展を開催する

00000年この頃有島生馬を知り、師事する

1916年 第3回二科展で初出品作が二科賞を受賞する

1919年 仁科会会友に推挙される

1921年 フランスに留学する

1922年 リヨン美術学校に学ぶ

1928年 帰国する

00000年第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品する

00000年第1回昭和洋画奨励賞を受賞する

1930年 ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」を翻訳、白水社より刊行される

1931年 二科会に入る

1934年 西崎みつ子と結婚する

1938年 二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる

1940年 紀元二千六百年奉祝美術展に出品する

1943年 第6回新文展審査員となる

1944年 二科会が解散となる

1945年 二科会を再建する

1946年 再建第1回二科会を開催する

1950年 二科会35周年記念展で功労賞を受賞する

1951年 歌舞伎座緞帳「女の四季」が完成する

1952年 第1回日本国際美術展に出品する

00000年壁画「平和と団結」が完成する

1957年 壁画「創生の歌」が第13回日本芸術院賞を受賞する

00000年第4回日本国際美術展で大衆賞を受賞する

1959年 第5回日本国際美術展で大衆賞を受賞する

00000年第2回新日展に招待出品する

1960年 日本芸術院会員となる

00000年第3回新日展に招待出品する

1961年 第4回新日展に招待出品する

00000年二科会会長に就任する

1962年 パリ滞在する

00000年パリ市よりラ・メダイユ・ダルジャン授与される

00000年サロン・ドートンヌ名誉会員となる

1965年 二科会功労賞を受賞する

1969年 フランス政府よりオフィシェ・ドルドル・デ・ザール・エ・レットルを授与される

1970年 勲三等旭日中綬章を受章する

1971年 ホオズ宮殿二科展に出品する

1972年 カイロ二科展に出品する

1976年 東京・西新宿に東郷青児美術館が開設される

00000年勲二等旭日重光章を受章する

1978年 4月25日熊本市にて急性心不全のため逝去

00000年没後、文化功労者、正四位追贈される


東郷青児代表作

『自画像』

『コントラバスを弾く』

『パラソルをさせる女』

『村の祭り』

『超現実派の散歩』

『四重奏』

『望郷』

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