この度いわの美術ではお客様のご依頼により、二代目細川正義作の「短刀」をお買取りいたしました。
文化年間に制作され120年以上の時を経ても尚、朴の木鞘は凛とした清楚な雰囲気を醸し、毅然とした姿を保っています。
かつて武器として活躍した刀剣も、現在では国内のみならず、ゲームや漫画をきっかけとした日本ブームにより世界中に刀剣愛好家が存在し、美術品として大変人気があります。短刀拵は長い刀と比べて手元においても邪魔にならないだけでなく、十手や槍鞘と同様に小さな中にもさまざまな美術工芸が凝縮されているのも、多くのコレクターを魅了する理由のひとつです。
現行法では30cm以下のものを短刀と呼びますが、30cm以上の脇差でも短刀用途に作られたものは「寸延(すんのび)短刀」などと呼び分類する場合もあります。
本来、短刀は自分の身を守るために、いつも身近に備える武器として生まれ、接近戦の武器としても用いられました。なかでも20cm前後の特に短いものは懐に忍ばせて用いられることが多くあったことより「懐刀(ふところがたな)」「懐剣(かいけん)」の名称で呼ばれる場合もあります。
歴史的に短刀が最も盛んに作られたのは、鎌倉時代から古刀末期といわれる室町時代の永禄年間頃までと言われています。江戸時代になると、幕府が登城の際の服装を取り決め、刀と脇差しの大小二本とし、武士の正式な服制から短刀が外されたことで無用となり、制作数が激減しました。残念ながら、現在では古い短刀になると外装も傷み、ほとんど現存していないのが実情です。
時代がうつり、幕末になると江戸では復古調の文物が流行します。そのブームに乗って、短刀拵も、鎌倉期頃の形式を模倣したものが数多く生産されるようになりました。
実際、今に残る幕末の写真を見てみると、短刀を前に差した武士の姿が少なくないことに気付きます。あの坂本龍馬や勝海舟の写真にも、例に違わずチョコンと短刀を差しているのが見えます。この頃は、刀身の長い大刀が人気だったそうで、大きな刀に脇差しを持つのが重すぎるし、格好も悪い。そこで、短刀を組み合わせるのがオシャレ、という流れとなったのだそうです。
そして幕末の開港以来、入国してきた外国人の土産品としても短刀はもてはやされました。江戸の刀剣商に注文して買い求める外国人がいたり、明治期に入って失業した士族の名刀が売りに出されるなどして、かなりの数が海を渡ったと考えられています。現在、刀剣商が海外に里帰り品を探しにいくと、アメリカよりもイギリスやオランダ、フランス、ドイツで短刀拵の良品が見つかるのだそうです。
相州伝と呼ばれる作風を確立した正宗をはじめ、水心子正秀や来国次、天龍子秀寿などの作刀はいずれも人気があり、高値買取対象が期待できます。また無銘のものであっても、必ずしも買取不可能というわけでもなく、時代物でお品物の状態によっては高値でお取引が可能な場合がございます。
刀剣類は真偽の鑑別がたいへん難しい分野のお品物です。鑑定にはその価値を正しく判断できるだけの知識と審美眼が必要で、一般の方が見た目だけで判断するのは容易なことではありません。
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