今回お買取したお品物は、太田垣蓮月の掛軸です。
書画には、「うまい(熟睡)して 蝶の夢見む 菜の花の まくらにかをる 春の山里」と書かれていました。
この書画を書いた太田垣蓮月は、江戸時代後期の尼僧で歌人や陶芸家としても活躍していました。
太田垣蓮月は京都の生まれで、伊賀国上野の家老、藤堂良聖(とうどうよしきよ)が実父で、生後まもなく、室町時代に因幡・但馬(現・鳥取東部、兵庫県北部)を所領としていた山名家の重臣の子孫にあたる太田垣家の養女となりました。
その後は御縁があり、丹波亀山城にて10年ほど奉公し、薙刀などの諸芸を学んだとされています。
それからの太田垣蓮月は、2度の結婚が不本意に終わった後に出家し、私利私欲を捨て、無私の精神を大切にした生き方をしていきます。
飢饉のときには30両を匿名で寄付したり、焼物で稼いだお金で人々のために橋を架けた事や、自身の贋作が出回った際には、「模倣品で他の者が食えるなら」と容認していたことなど、感動を覚えるエピソードが多数あります。
そんな太田垣蓮月は、歌も焼物も出来るという長所を生かし、和歌が淡々としたタッチで書かれた焼物を制作し、蓮月焼と呼ばれる焼物で人気を博していたそうです。
また、書においては自由気ままに楽しんで作られた和歌と穏やかで張りのある墨線が特徴的だといわれています。
今回お買取した太田垣蓮月の掛軸は一部のシミ、全体的にシワが多かった事は残念ですが、印刷物ではない肉筆という事や、ひどく目立つような破れのない人気作家のお品物ということもあり、高価買取となりました。
いわの美術では太田垣蓮月の作品買取に力を入れていますので高価買取を期待することができます。
ご自宅で眠っている掛軸や茶陶などが太田垣蓮月の作品という場合もありますので、お引越しなどの整理で適当にリサイクルショップなどで処分する前に、太田垣蓮月の作品買取の実績を持ついわの美術まで、まずはお電話、メールにてお気軽にご相談ください。