今回いわの美術では、版画家笹島喜平の木版画「吉祥天」をお買取り致しました。
笹島喜平は1906年栃木県益子町に生まれます。
14歳で高等小学校卒業後半年間に及ぶ教員講習を受け、同年代用教員として母校の教壇に立ち、2年後には本格的に教員免許を取得する為東京にある青山模範学校へ入学しました。
青山模範学校卒業後、同郷で活躍していた陶芸家濱田庄司の窯に訪問し、そこで陶芸の世界に興味がわき弟子入りして陶芸を学びます。
教師を続けながら陶芸や書道を学び自身の中に様々な技術を取り入れた笹島喜平は、30歳の頃に受けた平塚運一の版画講習会で見た黒白版画に感動し、平塚運一のもとで版画を学びます。
そんなある日、濱田庄司の紹介で後に20世紀の美術を代表する版画家となる棟方志功と知り合った笹島喜平は、平塚運一と棟方志功の2人に版画の技術を学ぶようになりました。
その後自身の作品が数多くの展覧会で入賞を果たし、その功績が認められ国画会会友に推薦され、39歳で教師を辞め画家一筋でいく事を決意します。
以降、日本にとどまらず海外の展覧会にも作品を出品する事が増え、海外での人気も高まりました。
しかし、過去に教師と画家の二足のわらじを履いた事が体に負担をかけていたようで何度か病に侵されますが、52歳で外傷性肋膜炎を発症し医師よりドクターストップをかけられてしまいます。
画家一筋を決意した時から版画だけが唯一の楽しみだった笹島喜平は暗く寂しい日々を送っていましたが、ふと目に留まった古拓の掛軸を見て体に負荷のかからない刷り方があるのではないかと研究を始めます。
試行錯誤を重ねた結果、従来の圧力を加えて転写する方法ではなく、版面に押し付けた紙にインクを押し当てる拓刷りという技法を完成させました。
その結果、体に負荷がかかる事なく病気を気にしないで作品制作に没頭する事が可能となります。
黒白版画に魅了されてから生涯黒白版画一筋で作品制作を続けてきた笹島喜平ですが、1993年87歳という長き人生に幕を下ろしました。
今回お買取りした作品は、白黒版画で製作された吉祥天という木版画になります。
吉祥天とは、元々美・幸福・富を司るインドの女神でしたが、仏教に取り入れられ仏教徒を守護する護法善神となり、吉祥天と呼ばれるようになりました。
家内安全や財宝金銭などご利益があると言われ、手にはどんな願いでも叶えられると言われる如意宝珠を持っています。
お買取りした作品は、黒白の単調ではありますが細かいポイントなどがしっかりと表現されていて、とても素晴らしい作品となっています。
こちらのお品物は、コレクションの整理をしていた方からお買取り致しました。
木版画を集めるのが趣味で今まで様々なお品物を買ってコレクションしていたそうですが、早いうちに生前整理を始めコレクションしていた版画を子供に譲ろうとしたところ断られてしまったそうです。さすがに捨てるには勿体ないので買取ってくれる所を探していたというご相談でした。
お品数が100点以上ありましたのでご自宅にお伺いして査定し、お買取り致しました。
弊社いわの美術では、今回のようにコレクションの整理でご売却お考えのお品物などもお買取りさせて頂いております。
今回お買取りした木版画以外にも、油絵・水彩画・書画などの絵画や、掛軸、茶道具、書状、日本刀、甲冑、仏像、洋食器、中国美術などお買取り出来る物はお買取り致します。
お品物によっては口頭説明だけでは査定額がお出し出来ない場合もございますので、その際にはオンライン査定をお使いください。
HPのお問い合わせフォーム・LINE査定のどちらからでもご売却お考えのお品物のお写真や大きさなどの詳細を頂けましたら査定結果もLINEやメールにてお伝え致します。
お品物の説明が難しい場合、お仕事などで電話する時間がない方などに便利な機能となっております。
ご売却お考えのお品物などございましたらお気軽にいわの美術までお問い合わせ下さい。