今回、いわの美術がお買取したお品物は、会津八一の書簡で、昭和初期の美術行政家で東京美術学校の第4代校長を1901年から1932年まで長期に渡ってつとめた正木直彦へ宛てた書簡です。
会津八一は書簡集が出るほど、多くの書簡を書いており、面と向かっての言葉より熟慮豊穣の書簡のほうが己の胸懐を吐露できるからという理由で書簡を好んでいたそうで、生涯2万通を超える書簡を書いたといわれています。
そんな会津八一ですが、子供の頃、左利きだった事もあり、字が下手で周りから矯正を指導されていたそうで、新聞の字を手本にして勉強したそうです。
そんな会津八一は日本の歌人・美術史家・書家として活躍し、号を秋艸道人といいました。
中学生の頃から「万葉集」や良寛の歌に親しみ、初めて奈良へ旅行に訪れた際は、仏教美術に関心を持ち、俳句以外にも短歌を嗜むようになりました。 歌人としては孤高の存在ではありましたが、独自の歌風は高く評価されており、「鹿鳴集」「山光集」「寒燈集」を発表しています。
生涯結婚する事は一度もなく、慕う弟子たちを厳しく導き多くの人材を育てた事でも知られており、書に関しては、現在では高値で取引されている事がほとんどです。
今回、お買取した書簡というお品物は、会津八一の交友関係や歴史的な部分でも資料としての役割も持っているため、大変貴重で高価買取が期待できます。
特に会津八一の場合、多くの書簡を残しており、現在でも様々な場所から見つかっており、これまでに分からなかった歴史を紐解く鍵となる書簡も中にはございます。
封筒と消印付の書簡は高い評価を付ける事ができ、保存状態も悪くなかった事から、今回は高い評価で買取を行いました。