今回、いわの美術が買取したお品物は、中国墨です。
書道用の墨には中国製の墨の事を「唐墨」といい、日本製の墨を「和墨」と呼び分けがされています。
中国墨は日本の墨と比べると、やや硬い作りになっており、気候や室内環境に左右され、割れやすく繊細です。
そのため、使用後は水気を十分に拭き取り、保管の際は温度や湿度の変化が少なく直接冷暖房に当たるような場所には置かない事で、ひび割れなどの破損を防ぐ事ができます。
墨の買取では、ひび割れ、欠けなどはマイナス評価となり、貴重で高価買取が期待できる墨でも残念な結果になってしまう事もございます。
使用した墨でも、状態が良ければ高い評価で買取る事ができますので、使っているからとゴミとして処分しないようにお願いします。
今回、お買取した中国墨は、清朝の乾隆年間に活躍した墨匠・汪節庵が手掛けた中国墨です。
もちろん、この墨も乾隆年間に作られたものですので、その事が墨に刻まれています。
汪節庵は、素功、汪近聖、胡開文とともに「徽墨四大家」と称えられ、他の墨匠と比べると残されている資料が少なく、謎多き墨匠と言われています。
名を宣礼、字を蓉坞といい、徽州岩寺鎮(岩寺行信)の出身とされていますが、定かになっておらず、唯一残された資料によると、「後に歙県城内で【函璞斎】を創始し、乾隆中期にかけて一世を風靡し、道光年間にはいって経営が行き詰まり、胡愛堂に接収されて幕を閉じた」と記され、「汪近聖と名声を二分している」とも記されています。 汪節庵は、徽派木彫の粋を凝らしたような精緻な意匠の集錦墨を得意とする一方、嘉慶年間には文人士大夫階層の特注墨を数多く手がけ、簡素で力強い銘墨を残しています。
乾隆皇帝の時代は古いようで比較的手の届く時代なので、その時に制作された墨には品質の高い墨が多く、中古市場でも人気がございます。
今回のような汪節庵が手掛けたような墨で、ほとんど形が残っている場合、高価買取となる可能性が高くなります。