今回いわの美術では、日本の陶磁器メーカーである大倉陶園の呉須正倉院シリーズ ティーセットをお買取り致しました。
1919年、幕末明治から大正にかけての実業家である大倉孫兵衛と息子の和親が「良きが上にも良きものを」という理念の元、大倉陶園を創設しました。
創設者の大倉孫兵衛は、万博博覧会で見た西洋陶磁器の美しさに惚れ込み、日本で初の硬質磁器を製作するため大倉陶園を設立させますが、そう簡単に上手くいくはずはありません。
硬質磁器の製作は困難を極めましたが、1922年にやっと完成し製品として出せるようになりました。
1924年には三越と契約して販売を開始、その5年後には紋章が入ったディナーセットを海外へ出荷した事で海外でも大倉陶園の名が知れ渡る事になります。
その結果、1932年には現在のアメリカ合衆国日本大使館にディナーセットを収めるなど、海外でも有名な陶磁器のメーカーとして成長を続けました。
戦争が始まると空襲で大倉陶園の工場は焼け落ちてしまいますが、翌年には製作が再開され、1959年には皇太子明仁親王と美智子様の御成婚時の食器を納めるなどして、以降皇室ご用達窯となります。
1974年には東京都港区にある迎賓館の改修時にディナーセットを納めるなど素晴らしい作品を数多く製作し、現在も作品を作られています。
大倉陶園の創業者である大倉孫兵衛は、1843年絵草紙屋を家業とする家の次男として生まれます。
家業を手伝い横浜などで外国人に錦絵を販売していましたが、結婚後独立し絵草紙屋を営みました。
その後、大倉書店や大倉孫兵衛洋紙店など数々の店舗を経営した大倉孫兵衛は、実業家としてその名を広める事となります。
また、家業を手伝っていた頃横浜港で後に森村財閥の創設者となる森村市佐衛門と交流を深め兄弟のように仲が良かった事から、森村市佐衛門が1876年に設立した貿易会社「森村組」の経営に加わり、その後は陶器制作会社(現在のノリタケ)を設立させます。
大倉陶園の設立前、大倉孫兵衛は万博博覧会で見た西洋陶磁器に感動を受け、日本でも西洋のような美しい陶磁器を作りたいと76歳の時に息子と共に大倉陶園を設立し、作陶を重ねました。
1922年に初めて作品が完成し販売されましたが、それは大倉孫兵衛が亡くなってから一年後の事で、大倉孫兵衛は自身が夢見た美しい陶磁器の完成を見る事なく亡くなってしまったのです。
ですが、大倉孫兵衛の意志は大倉陶園で現在も受け継がれより良い作品を作り続けています。
今回お買取りさせて頂いたのは、大倉陶園の呉須正倉院というシリーズのティーセットです。
こちらは大倉陶園より1960年頃誕生したシリーズで東大寺の正倉院御物からヒントを得てデザインされました。
白磁の背景に青の顔料で描かれた和風かつ格式高いデザインは、とても華やかで銀色の縁が合わさると上品な作品に仕上がります。
また、呉須正倉院は釉薬をかける前に模様を描く為、耐久性が高くなるそうです。
こちらのお品物は、洋食器をコレクションされていた方からお買取りさせて頂きました。
こちらの大倉陶園以外にも、ウェッジウッドやマイセン・コペンハーゲン・ヘレンドなど様々なお品物をお買取り致しました。
弊社いわの美術では、大倉陶園の作品をお買取りしております。
コレクションの整理や遺品整理・お引越しなどでご売却をお考えの大倉陶園の作品がございましたら、是非いわの美術までお問い合わせ下さい。
※大倉陶園の作品では、お品物によってはお買取りが難しい場合もございます。
予めご了承下さい。
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