こちらのお品物は高級照明器具の老舗であるヤマギワが、現在8つの世界遺産に登録されているアメリカ建築の巨匠フランク・ロイド・ライトによる照明器具を復刻した正規品です。
フランク・ロイド・ライトは浪費家で女好きで破天荒でスキャンダルや社会的追放も受けましたが、それらの逆境に打ち勝つ才能を持っていました。
このテーブルライトの原型はフランク・ロイド・ライトが1933年に請け負った劇場改築の際に設置された照明で、長方形の箱と板による間接照明は全く新しい概念で革命的でした。
1952年の火災による再築の際にこの照明デザインに変更を加え、それが気に入って自宅の為に制作した作品がこの『タリアセン3』です。
フランク・ロイド・ライトが建築家になったのは、生まれる前から母親の強い願望であり、そのように誘導されていたそうです。
母親はイギリスの大聖堂の彫刻が掲載されている雑誌の切り抜きを保育園に飾ったり、知育ブロックを与えたりしました。
後にフランク・ロイド・ライトは立方体、球体、三角形の知育ブロックが幾何学的なデザインの根本であると語っています。
19歳から敬愛する師匠の建築事務所で働いていたものの、贅沢思考で服・車・家に出費が激しく、借金の返済のために事務所を通さない仕事を受けたことから解雇され1893年26歳で独立しました。
ヨーロッパの建築様式が主流であった当時のアメリカで、フランク・ロイド・ライトは新しい建築様式を提案し評価も高かったのですが、顧客の妻とのW不倫そして2年間に及ぶニューヨークとヨーロッパ愛の逃避行により名声は落ちてしまいます。
1911年アメリカに戻り、再び仕事をするものの厳しい状況が続き、3年後には使用人が放火の上、愛人と子供2人、従業員など計7人を斧で惨殺するという事件が起こりました。
使用人は直後に塩酸を飲んで自殺を図り、犯行の理由を語らないまま7週間後に刑務所で死亡します。
この事件よりフランク・ロイド・ライトの浪費癖による従業員への給料滞納や、愛人が我儘すぎたなど様々な暴露や憶測を呼び、またイメージが悪くなりました。
フランク・ロイド・ライトが再び建築で信用を取り戻したのは1930年代以降となります。
スキャンダルの多い建築家でしたが天才ゆえに社会の枠からはみ出していたのかもしれません。
現在は建築業界の誰からもリスペクトされ、8件の建築群が世界遺産に登録されています。
初めにフランク・ロイド・ライトが日本に注目したのは、26歳の時にシカゴ万博で見た日本の建築物でした。
1905年38歳の時に日本を訪問し、建築に関するアイデアを集める一方で、数百枚の浮世絵を持ち帰ったそうです。
浮世絵はシカゴ美術館やメトロポリタン美術館、裕福層に売れ、建築よりも儲かった時期もありました。
しかし1920年にライバルの美術商が「修正を加えた浮世絵を販売している」という噂を流し、元々金遣いが荒いこと等が災いし、浮世絵販売どころか建築の仕事さえ信用を失い、経済的な問題にまで発展します。
後に負債の為に銀行が数千の浮世絵を1枚1ドルで売りさばく結果となりました。
この浮世絵のトラブルの最中、1920年から1922年は日本の帝国ホテル新館設計の仕事の関係で日本に滞在しました。
完璧主義であったフランク・ロイド・ライトは何度も変更を繰り返し、工期の遅れと予算の6倍にまで膨れ上がったコストが原因で解雇され、完成前にアメリカに帰国します。
不本意な去り方となってしまいましたが、それでもフランク・ロイド・ライトは亡くなるまで日本の浮世絵を好んで収集し続け、ローンの担保や販売ビジネスにも使用していました。
日本と関わりが深かったフランク・ロイド・ライトは日本にもファンが多く、特にこの復刻版の照明『タリアセン3』は中古市場でも人気が高いお品物です。
いわの美術ではフランク・ロイド・ライトのテーブルライト『タリアセン3』をお買取り強化中です。
同じシリーズでフロアライト『タリアセン2』もお買取りしております。
ヤマギワはフランク・ロイド・ライトの正規品を始め高級照明で人気です。
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