今回、いわの美術にてお買取りいたしました写真の作品は、
村井正誠 抽象画の作品です。
抽象画作品の日本のパイオニアともいえる村井正誠。
しかしこの作品にはタイトルがありません。
2点の作品は獣のようにも見える耳とヒゲがあったり、また横から見ると獣が立ち上がっているよ
うにも見えたり…。そもそも人間なのかも知れません…。
見る側には描かれた対象が何なのかはっきりと分からないけれど、その物は確かに存在しています。
画家自身の心に存在する物なのかもしれないし、はたまた実際に実在する物なのかもしれません。
あらゆる主題をキャンパスから取り除き、村井正誠の目に映る世界を描き出した作品です。
その対象を考え、どんな世界が広がっていたのか考えてみながら…。それが抽象絵画の楽しみ方の
ひとつとも言えるのではないでしょうか…?
+作家紹介+
村井正誠/1905年(明治38年)-1999年(平成11年)
村井正誠は、昭和から平成時代にかけての洋画家で少年期を和歌山県で過ごします。
和歌山県は、のちに大正自由教育のひとつで象徴ともなった文化学院を開校した西村伊作の出身地でもあり、彼の周辺には多くの芸術家が集う事もあったそうです。
小学生の頃から周囲に芸術家が多く集まる環境で育った事から、村井正誠は生活と制作を共にする芸術家達の姿を見て画家への憧れを抱きました。
中学を卒業後に上京した村井正誠は、文化学院大学部美術科で学び、1928年(昭和3年)にフランスへ
と渡ります。パリで流行していた画壇には敢えて追及せず、中世の素朴な美術表現に共感し、
ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian/抽象画家)ら抽象芸術に刺激を受けながら、国境を越えて
心に響く絵画制作を始めます。
帰国後の昭和9年には、長谷川三郎・大津田正豊らと新時代を結成し、昭和13年には母校文化学院の講師となり教鞭をとりますが、時代は戦争真最中の日本でした。
反政府思想や自由思想による不敬罪で拘禁され、文化学院は国から強制閉鎖されてしまいます。
昭和20年の敗戦後に文化学院を再開復職し、美術団体再編のなかで、自由美術家協会やモダンアート
協会など創立の中心に加わり、多くの若い作家達に影響を与えました。
戦後のさまざまな流れに生起するなかにおいて、終始一貫して抽象美術を追及し続けた村井正誠は
現代美術史に大きな功績を残したと言えるでしょう。
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抽象画作品のなかには知らない人が見ると、一見落書きのように見える絵画や、まるで子どもが
描いた作品に見える傑作も少なくありません。
今回お買取りした村井正誠をはじめ、人気の高い、草間彌生・岡本太郎などの作品は買取価格が
高額になる品物もございます。
売れないと思い、しまい込んでいる物が実は価値あるアートだったりすることも珍しくありません。
また絵画では、仏画・水墨画・浮世絵・木版画・水彩画・油彩画・シルクスクリーン・リトグラフ
など様々な作品をいわの美術ではお買取りしております。
絵画のお買取りでは、作家名・大きさ・タイトル・状態などが重要なポイントとなっています。
ご売却をお考えのお品物がありましたら、上記のポイントを伝えて頂けますと、あらかたの査定額
がご提示できます。
また、保証書や箱などの付属品が付いていますと、査定額にプラスとなりますので、まだ売却を考
えてないお品物でも、高価買取してもらう為には捨てずに取っておく事をオススメ致します。
自分の買った物ではなく家族が持っていた物で、作家名など詳しい詳細は買った本人が居ないので
わからないというお問合せも多くいただきます。
そんなときは事前にお品物のお写真を頂けますと幸いです。その際、作品全体・サイン・ナンバー
(版画のみ)・大きさ(作品と額)・額裏など情報を頂けますと、査定がスムーズに行えますので、
宜しくお願い致します。