今回、いわの美術でお買取り致しました作品は、
フジ子・ヘミング作 『ピアノ練習』 銅版画の作品です。
フジ子・ヘミングと言えば・・・・・・・・・・・・・・・・
ピアニストとしての知名度は皆さんご存じかと思われますが、
一方で、音楽だけでなく"絵描き"というもうひとつの素晴らしい才能もあり、
この絵画の才能に着目したとある団体が、『フジ子・ヘミング もうひとつの世界展』
を開催し、水彩や素描などで描いた作品に魅了された多くのファンの要望によって、
外に出ない絵(作品)を、"版画"という形で、フジ子・ヘミング承認のもとで、
限定発売が実現した品のため、とても希少で人気が高いです。
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<作家略歴>
イングリット・フジコ・へミング(Georgii Hemming Ingrid Fuzjko)は、
ピアニストの大月投網子(日本)と、画家で建築家のジョスタ・ゲオルギ・ヘミング
(スウェーデン)の間に、1932年(昭和7年)ドイツ・ベルリンで生まれます。
5歳で日本に帰国をした、フジ子・へミングは、日本で教育を受け、幼い頃から母親
の手解きを受けピアノを習い始めます。
また画家で建築家でもあった父の影響も受けて、7歳の頃から日本画家で伯母の大月吉野
の元で絵を学びます。
その後、青山学院高等部を経て、母親と同じ東京藝術大学へ進んだのち、在学中に、
NHK毎日音楽コンクールで入賞。文化放送音楽賞など多数の名誉ある賞を受賞します。
東京藝術大学を卒業後、28歳でドイツへ移り、プロとしてのキャリアをスタート
させましたが、1971年のウィーンでの演奏会直前、風邪が原因による高熱で両耳の聴力
を失ってしまいます。(現在は左耳が半分ほど回復しているそうです)
1995年に母親の死を機に日本に帰国。
日本へ戻る前には、ヨーロッパ大陸全体で多くのコンサートを開催しました。
帰国後の、1999年テレビで放映されたドキュメンタリー番組をきっかけに、一躍
時の人となり、その後のデビューアルバム『奇蹟のカンパネラ』は、200万枚を超える
大ヒットとなり、4度のゴールドディスク賞を受賞します。
2004年には、上にも記載した絵画展『フジ子・へミング もうひとつの世界展』 を
開催し、大反響のなか全国各地を巡回しました。
2021年、現在も公演活動で多忙を極めるなか、猫や犬をはじめとした動物愛護への
関心も深く、長年の支援を続けており、その他にもアメリカ同時多発テロ後の被災者
救済のために、CDの印税の全額寄付や、アフガニスタン難民のためのユニセフを通じ
たコンサート出演料の寄付、ほかにも3.11東日本大震災復興支援チャリティーコンサ
ート、被災動物支援チャリティーコンサートといった支援活動を続けており、
こうした人や動物を愛し支援する事を忘れない人間味溢れる人柄も、多くのファンを
魅了してやまない要因と言えます。
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いわの美術では、仏画・水墨画・浮世絵・木版画・水彩画・油彩画・シルクスクリーン・
リトグラフなど様々な作品をお買取りしております!!
絵画の買取では、作家名・タイトル・大きさ・状態などが、重要なポイントとなって
います。ご売却をお考えのお品物がありましたら、上記のポイントを伝えて頂けますと、
あらかたの査定額がご提示できます。
また、保証書や箱などの付属品が付いていますと、査定にプラスとなりますので、
まだ売却を考えてないお品物でも、高価買取してもらう為には捨てずに取っておく事
をオススメ致します。
もし、自分の買った物ではない場合…
家族が所持していた品で、作家名など詳しい内容は本人が居ないのでわからないという
場合は、お品物のお写真を頂けますと幸いです。
その際、作品全体・サイン・ナンバー(版画のみ)・大きさ(作品と額)・額裏など
詳しい情報を頂けますと、査定がスムーズに行えますので、宜しくお願い致します。
絵画の査定額は、中古市場の中で作家さんの知名度や、人気の作風などにより相場が
変わり、中古市場の相場を元にお値段をご提示しております。
お買取りが厳しいものに関しましては、正直に回答させていただく場合もございます
のでご了承ください。