こちらの油彩画は、明治後期~昭和期の洋画家 坂本繁二郎の富士山を描いた肉筆作品です。
福岡県久留米市生まれの坂本繁二郎は、同じ年、同じ久留米に生まれ、天才とよばれた画家の青木繁とよく比較されますが、87歳で没するまで、生涯にわたり、馬や牛、身近な静物、能面や月などをモチーフとして油彩による作品を中心として制作を続けた画家として知られます。
今回お買取させていただきました坂本繁二郎の作品は、日本の代表である富士を独特の幽玄な雰囲気のある表現力で描いた作品です。
様々な画家が様々な表現力で富士を描いていますが、お買取した油彩画は、坂本繁二郎らしいわずかな明度差で、ぼんやりとした印象ではありつつも、その画面からは澄んだ空気が感じられる作品です。
穏やかな雰囲気の中にも、独特の華やさがあり、また、富士山という題材であるにもかかわらず、煌びやかではないが、静かで、淡く、柔らかな独自の光に包まれている印象を受けます。富士という存在を坂本繁二郎だけができうるニュアンスのある表現力で描写された素晴らしい作品です。
幼少のころより絵の虫とよばれていた坂本繁二郎は、10歳の時に洋画塾に入門し、またたくまに、その絵は評判となり、神童とよばれていました。そんな坂本繁二郎に転機が訪れたのが、20歳のときです。地元で小学校の代用教員として図画を教えていた坂本繁二郎のもとに、青木繁が帰郷し、その絵に感銘した坂本繁二郎は青木繁とともに上京し、洋画家の小山正太郎の画塾に入門、画家への道を歩むこととなります。30歳の時に描いた「うすれ日」は出世作となり、夏目漱石にも称賛されるに至ります。
そして、39歳にして絵画修業のためフランスに旅立ちますが、坂本繁二郎を魅了したのは、セザンヌ、ミレー、ピカソではなく、カミーユ・コローの作品でした。
フランスから戻ると、八女を終の住処と決めてアトリエを建て、そこで、50歳の時に、繁二郎の生涯のモチーフとなる馬と出会います。戦後になると、坂本繁二郎は洋画界の巨匠と称され、文化勲章も受章、東洋的な幽玄の美と評される独自の画境により確固たる地位を確立しました。
いわの美術では、坂本繁二郎の作品買取を致しております。坂本繁二郎の肉筆画であれば、作品により高価買取も致しておりますので、ご売却をお考えの坂本繁二郎の作品がございましたら、是非いわの美術にお問い合わせください。