花の絵画の名手として知られる高田保雄による油彩画です。
簡潔な構図で可視的な対象物が追求され、透徹した世界を感じさせます。
油彩画でありながら北宋絵画にも通じる凛としたたたずまいが魅力です。
高田保雄は1927年に横浜で綿花商の家に生まれ育ち、子供の頃から絵を描いていたそうで、関東学院中学部の時には彫刻・版画家である水船六洲の指導を受けています。
1945年に東京美術学校(後の東京藝術大学)に入学、そして入学後間もない5月29日に横浜大空襲で父親を亡くしました。
高田保雄はどうしようもない孤独感を抱えながら、それでもその虚しさと真摯に向き合い、焼け残った建物をなるべく多く描きたいという特別な意思が生まれ、戦後間もなくから横浜を描き始めています。
これは生まれ育った横浜の風景と自分の人生を重ねていたと言われる代表作『ヨコハマシリーズ』となりました。
大学では油絵科を専攻し梅原龍三郎の教室に入り、1950年の卒業後は中学校美術教師として教壇に立ちますが、一人ひとりじっくり指導したかった高田保雄にとって生徒数が多すぎたことから2年で辞め、その後は画業と絵画教室に転向します。
高田保雄が描く対象は花、風景、建物、静物などで、特に花には思い入れがありました。
世界中の誰が見ても美しいと思わせる花の絶対的な美しさ、それを写すだけでは実物のほうが美しいに決まっていて、いかに自分の精神性を込めて表現し人々を感動させるか、と自分自身を高める努力を怠らなかったそうです。
高田保雄の作品は技術的には写実の細密画であり、丹念な作業を要するため遅筆でした。
作品の完成までどれも1年以上かかることから展覧会は1年おきが精一杯と語っており、1960年に個展を初開催してからは隔年での開催です。
ただし他の細密画と異なり、可視的なものを超えて作者の内面的なものを写し出しています。
高田保雄の積年の精進と経験的な厚みが、精神の通った透徹した世界の作品へと繋がりました。
1975年に安井賞展で『野芥子』が優秀作品、文化庁買上げ、京都国立近代美術館蔵となります。
美術団体には所属しない孤高の画家であり、大磯にアトリエを構え個展や絵画教室を中心に活動しました。
とても子供に人気があったようで、中学教師時代の生徒とも晩年まで交流しています。
2016年に入居していた老人ホームで同じく画家である先子夫人に最後「面白かったね。もう良いよ」と告げ、翌日部屋に集まった家族全員から足のマッサージを受けている時に眠るように亡くなったそうです。
2022年に先子夫人は7回忌に際し大磯町で高田保雄の蕪村展を開催しました。
2人の子供達はそれぞれ日本画家(高田冬子)、彫刻家、空間デザイナーとして活躍しています。
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