今回いわの美術では、香川漆器の始祖と言われている玉楮象谷の讃岐彫茶量をお買取り致しました。
1806年鞘塗師の家系に生まれた玉楮象谷は、幼い頃から父親の指導のもと彫刻の技術を学び、後に彫刻の技術をより深める為京都へ向かいます。
京都では、書家や陶芸家、画家などと交流を深め、自身も作陶を続けながら漆芸や彫刻などの研究を行いました。
玉楮象谷が勉強した時代の京都では蒔絵が流行っていましたが、流行りには乗らず父親から学んだ技術を生かし京都の大徳寺などに伝来していた堆朱や堆黒・存清、中国から伝わった唐物漆器、ミャンマーから伝わったキンマ手などに注目します。
その研究の結果出来上がったのが香川漆器の代名詞「彫漆(ちょうしつ)、萄醤(きんま)、存清(ぞんせい)」の三技法です。
これらの技術と知識を故郷の高松に持ち帰った玉楮象谷は早速製作にとりかかります。
作品の素晴らしさはたちまち町中に広まり、その噂を聞きつけた讃岐国高松藩9代藩主・松平頼恕が玉楮象谷に作品の依頼をされました。
そこで玉楮象谷は、彫刻の技術をふんだんに発揮し花・蝶・蜉蝣(かげろう)・翡翠(かわせみ)がデザインされた印籠を製作して献上したところ、作品の素晴らしさに感動した讃岐国高松藩9代藩主・松平頼恕は、その功績を称え苗字と刀を持たせる事を許したそうです。
その後讃岐国高松藩藩主に代々仕え、300品程の作品を製作するなど漆器の世界に大いに貢献しましたが、63歳という若さでこの世を去りました。
ですが、生前の功績が称えられ故郷である香川県高松市の中央公園に玉楮象谷の銅像が建てられています。
今回弊社いわの美術がお買取りしましたのは、玉楮象谷の讃岐彫茶量という作品です。
竹に蜂やセミなどの虫や山を彫ったこちらの作品は、堆朱など施されていないシンプルな作品となっています。
シンプルではありますが、虫や山がとても精密に描かれていて今にも動き出しそうな迫力のある作品です。
こちらのお品物は、お茶道具など多数コレクションされていた方からお譲り頂きました。
弊社いわの美術では、玉楮象谷の作品をお買取り強化しております。
コレクションされていたお品物、蔵の中に眠っていた玉楮象谷の作品などございましたら是非いわの美術にお譲り下さい。
弊社いわの美術では、玉楮象谷の作品以外にも様々なお品物をお買取りしております。
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