今回いわの美術では、黒木国昭の手吹きガラスで作られた棗をお買取り致しました。
宮崎県で生まれた黒木国昭は、高校卒業後ガラス製作会社に就職、これが黒木国昭をガラス工芸作家へ導いた原点となるのです。
黒木国昭が得意とする手吹きガラスを作る際、水あめ状に溶けたガラスをステンレスパイプの先に巻き付け息を吹き入れ成形していきます。
文字にすると一見簡単なように思えますが、ガラスを溶解炉という機械の中で水あめ状に溶かした時の中の温度は約1300℃、その後成形したガラスを再度加熱し形を整えたり模様を付けたりするのですが、その際の温度は約1500℃です。
また、成形が終わったガラスを冷ます際でも600℃の溶解炉にガラスを入れ徐々に冷ましていきます。
成形されたガラスを急激に冷やしてしまうとガラスに負担がかかりヒビが入ったりしてしまう為、600℃という高温の中で冷まさなければなりません。
ガラスを溶かす温度に比べ冷ます温度は半分以下なのでそんなに熱くないと感じますが、例えで言うと蝋燭の火の真ん中部分が大体600℃くらいなので、一般的に考えるとかなり熱い状態です。
よく、吹きガラスを作っている職人の人が頭にタオルを巻いて汗だくになりながら製作している光景をテレビなどで見た方も多いと思いますが、それぐらいガラス製作所での仕事は、炎の暑さとやけどなどの危険と隣り合わせです。
また、吹き込む息も弱いとガラスが膨らまず、逆に強すぎるとガラスが破裂してしまう為、慎重に空気を絶えず送り続けるので精神と体力が資本の過酷な仕事です。
黒木国昭と同期で入社した仲間達もガラス製作所の過酷さに辞める人が後を絶たなかったようですが、黒木国昭は父と「最後までやり遂げる」と約束した事を胸に必死にしがみつき仕事をこなしていきます。
過酷な仕事ではありましたが、「ガラスの美しい透明度や流動感、冷えて固まるとダイヤモンドのような輝きを目にして一生この仕事を続けていきたい」という気持ちが持てたと黒木国昭は語っています。
その後29歳で独立後数多くの作品を製作し、3年後には国家ガラス製品製造技能士一級を取得されました。
1989年にグラスアート宮崎綾工房を創設、その2年後には自身の作品が評価され国の卓越技能者に贈られる「現代の名工」を受賞するという功績を収めます。
現在では、自身でも作品制作を行いながら、弟子の育成に力を注いでいます。
今回いわの美術では、西洋の美に日本の美を融合させて、日本の伝統的な美を絶やさず作品制作を続けている黒木国昭が得意とする琳派で作られた棗をお買取り致しました。
全体的に金箔をまぶした上から、緑や黒・赤・白でデザインされた模様はまるで金彩の背景に咲く桜の花のように見えます。
琳派とは桃山時代後期からある造形芸術の流派で、背景に金箔を使い花木や草木・人物画・山水など日本の風景が描かれています。
黒木国昭は、琳派を発展させた尾形光琳に深く思いを寄せている事から、ガラスの世界でも琳派を再現しようと始められました。
こちらの棗は、小ぶりではありますが黒木国昭の技術が結集された大変美しい作品ですので高評価でお買取りさせて頂きました。
弊社いわの美術では、黒木国昭の作品を高価買取しております。
コレクションされている物やお店・事務所に飾られている物、遺品整理で出てきた黒木国昭の作品をご売却お考えでしたら是非いわの美術までお問い合わせ下さい。
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