絵唐津茶盌
十三代 中里 太郎右衛門(逢庵)
1923-2009年
佐賀県出身の唐津焼で知られる陶芸家
朝鮮半島から渡来し慶長年間初期に現在の伊万里市に開窯した唐津藩の御用陶工を初代とし、父は人間国宝の十二代中里太郎右衛門(中里無庵)、十三代目は『中里三兄弟』の長男にあたり、弟は同じく陶芸家の中里重利と中里隆、2002年には自身の長男が十四代中里太郎右衛門を襲名しており、中里家は400年を越える由緒ある陶芸家の家系として伝統を継承しています。
1923年 佐賀県唐津市に生まれた十三代中里太郎右衛門は幼い頃より陶芸家である父の作陶を見よう見まねで習い、土に親しんだといいます。
1943年 東京高等工芸学校工芸図案科(現在の千葉大学工学部)を卒業し、その8年後に第7回日展にて初入賞を果たすと、以降連続して10回の入選に輝いて陶芸家として頭角を現します。
1958年には同展にて特選、次いで1961年に日本陶磁協会賞を受賞して更に陶技を磨くと1967年には44歳の若さで日展の会員に任命され、1969年に十三代中里太郎右衛門を襲名しました。
1976年には日展評議員に選出、1981年に内閣総理大臣賞、更には1984年に日本芸術院賞を受賞して、日展理事に就任します。
2002年には長男に太郎右衛門の名跡を譲りますが、隠居後も逢庵と号して作陶を続けます。
また作陶のかたわら、タイ、ミャンマー、韓国などに『叩き唐津』の調査に自ら足を運び、その起源について精力的に研究したことでも知られています。それら調査結果をまとめた論文も多く発表しており、80歳を越えた2004年には氏の古唐津に関する造詣をまとめた論文『唐津焼の研究』を提出、京都芸術大学より博士号を取得しています。
2008年には旭日中綬章を受賞し更なる活躍が期待されるなか2009年白血病に倒れ、惜しまれつつ85歳でその天寿を全うしました。
唐津焼の茶盌(茶の湯用の茶碗)は江戸時代より『一井戸(高麗)、二楽、三唐津』と称され大変珍重されました。唐津焼の大きな魅力のひとつがその素朴さの”土味“であると言われています。唐津の土には元来砂気が多く、削ると表面にちりめんのような細かなささくれができるのが特徴で、このちりめん皴を古来より茶人たちは景色として見立てて喜んだそうです。また高台のスピード感のある削りの美しさは朝鮮の高麗茶碗を凌ぐ美しさだとも評されます。
デザインも李朝鉄砂の流れを汲み、筆数は少なく簡潔で大胆、そして力強いものが多く、その分シンプルであることから飽きのこないのが魅力のひとつとされています。
唐津焼には奥高麗や瀬戸唐津、朝鮮唐津など様々な名称のものがあります。今回ご紹介するのは絵唐津ですが、鉄や銅を摺って水に溶かしたもので文様を描き、長石釉を掛けたものを総称して絵唐津と呼びます。
なかには珍しいものとして藁灰釉を掛けた斑絵唐津があります。意匠には李朝直伝のものと、日本で変化した織部風なものがありますが、抽象的な意匠には、点、三ツ星、X印などが多く見られます。具象には例として、ススキ、葦、竹、野ブドウ、水車、釣り人など多種多様なものが描かれています。
また主に17世紀頃の絵唐津の文様にはなにを表現したのかわからないものが多くみられますが、その理由として心に映った写生をそのまま描いたからであろうと今日では推測されています。