茶托の材質は様々ですが、煎茶道の世界では錫製が最上とされ、お茶会で一番目にすることの多い素材でもあります。錫製の茶托は、金属の程よい重みが手にした時にしっとりと馴染みがよく、また、錫の特性として年代を経るごとに古色が加わることによって風合いや味わいが増すことからも、多くの数寄者やコレクターからの根強い人気があります。
中国から日本にもたらされた茶托にはこの錫製のものが多く、なかでも年代物は古錫茶托などと重用され、打ち目や透かし彫りなどの凝った細工が施されたものもあります。
「唐」とは618年から907年まで300年間続いた中国大陸の王朝の名前です。
しかし、日本文化のなかで独自に培われた茶の湯に用いられる唐物は、「唐」と言いながら唐のものより、むしろ宋・元・明のものが多く見られます。では「宋物」「元物」「明物」ではなく、なぜ「唐物」と呼ぶのでしょう。
唐の物が、唐の商人によって日本に運ばれ始めたのは唐末にさしかかる頃といわれています。唐王朝の国力が衰え始めたのをきっかけに、私貿易の禁制が緩み、より多くの商人たちが海外に目をむけるようなったのがその理由です。かつて遣唐使が活躍した東アジアの海上は、こうしてこの頃から唐物を運ぶ商人の舞台へと変化してゆきました。
さらに時がたち、宋代(960-1279年)の喫茶法である点茶法(*抹茶を入れた茶碗に湯を注ぎ、茶せんを使って点てる)が、臨済宗の祖であり建仁寺を開山した栄西によって日本に伝えられ次第に国内にも浸透すると、もっと手軽に喫茶を楽しもうとする貴族たちを始めとする人々が、唐の時代の煎茶法(*蒸した茶葉を臼でつき、乾燥させてから固めた餅茶(へいちゃ)を粉末に挽いて水で煮出してから飲む)に用いる道具を唐物に求めるようになります。
この頃の大陸は、唐から継いだ新王朝である宋が建国してすでに200年余りが経過しており、造船技術の向上とともに、宋の商人たちの日本来航は唐の時代より一層盛んに行われていました。また禅宗が盛んになり、教えを乞うために宋にわたる日本の僧たち、布教のために日本に渡ってくる僧などが商船に便乗して東アジアの海上を足しげく往来した頃とちょうど重なっています。
陶磁器・絹織物・書画など、茶の湯の唐物、宋・元・明のものなどは、このような背景のなか、禅僧とともに商船に載せられて、日本に入ってきました。
13世紀から15世紀までの300年の間、日本の禅院や武家の室内を飾り喫茶に用いられる道具のほとんどが唐物だったと言われ、この事からも、おびただしい数の品が海を渡って伝来したことを窺い知ることができます。
転じて今では「唐物」とは、必ずしも唐時代に作られたという意味だけでなく、拡大された意味で捉えられるようになり、さらには唐物風につくられた国産のものを含むなど、より広義に用いられるように変化しました。
錫は昔から水を浄化するとされ、最高級の食器として神事の酒器などにも用いられてきました。現代でも、皇室でお酒がふるまわれる時には、必ず錫の酒器が使われています。
錫は柔らかい金属のため、普通の金属では作り出せないさまざまな表現が可能ですが、それは逆を言えば、素材に強度が不足するため扱いが難しく、作り手にとっては造形の短所ともなり得ます。しかしながら、長年の経験を積んだ錫師によって作り上げられた作品は、いずれも錫独特の輝きをもち、光の具合によって様々な表情を見せてくれる不思議な魅力があります。
近年では錫の産出量が減っているため高価なもので、その希少性は年々高くなるばかりです。しかし、錫にはほかの金属にはない優しさや温かみがあり、控えめで上品な輝きをもつ錫器の人気は今後も衰えることはないでしょう。
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