本日こちらでご紹介させていただくのは生駒製の銀急須です。
底には「生駒」の刻印が入っており、多少の変色や細かいキズなどはございましたが中古市場にて人気の高い生駒製ということで高価買取させて頂きました。
株式会社生駒時計店は1870年(明治3年)、大阪・淀屋橋筋に「大権堂」という屋号で創業しました。これは創業者の生駒権七(大阪屋権七)に由来するもので、当時から輸入時計、銀器、煙管や簪などの装身具や記念品を制作・販売していたそうです。
1923年(大正12年)、株式会社化に伴い屋号を「生駒商店」と改め、宝飾品や国内外の美術工芸品なども取り扱い、商品カタログを導入し通信販売を他社に先駆けて開始しました。
1930年(昭和5年)には地下一階、地上五階建ての「生駒ビルヂング」を建設し本社とします。
当時の民間レベルでは類を見ない規模で、アール・デコ様式の外観と相まって街の注目を集めました。
代表取締役の生駒伸夫はこのビルについて「入社当初(昭和55年)は古くて不便なビルという印象だった。取材や見学に訪れた人々の“いいビルですね、大事にしてください。”という言葉がこの建物の価値を見直すきっかけになった」と語っており、現在は国の登録有形文化財に指定されています。
戦後、世間の通称だった「生駒時計店」へ社名を変更し、2016年(平成28年)に再び店舗を生駒ビルヂングに移しました。
創業から各種工芸品・トロフィーやメダル類・記念品を社業とし、質のいい銀製品を制作する生駒時計店の茶道具は流通する数も限られており、大変人気のお品物となっております。
日本における銀器の歴史は古く、銀製の食器や酒器の名前は延喜式という法典の中に記述が見られます。
石見銀山をはじめ数多くの鉱山が存在した日本ではそれ以前に遡るともいわれ、銀は昔から貴重な素材でした。
江戸時代中期、銀師と呼ばれる銀器職人や金工師と呼ばれる飾り職人が現れ、多彩な作品を生み出し、町人の間でも銀器や銀道具は広く親しまれるようになったと言われています。
1867年(慶応3年)にパリで開催された万国博覧会では、日本の銀製品の高い芸術性と優れた技術が世界に認められ大変な人気を博し、その後欧米の技術を導入することにより、さらに多様な表情を持つ銀製品が製作されるようになりました。
1979年(昭和54年)には主に東京都で作られていた「東京銀器」が国の伝統的工芸品に指定され、近年ではアジアを中心に海外で流行しています。
今回ご紹介させて頂いた生駒製の銀急須はもちろん、茶道具・懐石道具・洋食器・絵画など幅広くお買取り致しております。付属品の有無、お品物の状態で査定額が変わる場合がございますので、お客様ご自身で判断される前にぜひ一度ご相談ください。
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