『休雪白』と呼ばれる白の釉薬が雪のように厚がけされ、荒さと品格の高さが美しい萩茶碗です。
先代である兄と共同研究した技法であり、兄弟共に人間国宝に認定されました。
三輪節夫は三輪家9代雪堂の三男として生まれ、学校卒業後は10代三輪休雪を襲名したばかりであった兄(当時32歳)を手伝います。
家系的に体が弱く自身も胃腸が悪かったことから、若い時より健康的な生活を心掛け、30歳代で菜食中心となり 自分で野菜を育てるなど徹底しました。
1941年31歳の時に川喜田半泥子に師事し、短期間であったにも関わらずその自由な作風に強く影響を受け、個性豊かな作品を生み出し始めます。
30年もの間 兄を助ける下働きの傍ら修行し、1955年に雅号『休』として自分の作品の発表を開始しました。
そして1967年には兄が隠居して11代三輪休雪を襲名します。
後に10代・11代共に人間国宝に選ばれ、兄弟で人間国宝は史上初の快挙です。
2003年には長男・三輪龍作に当代を譲り、自身は『壽雪』と改号し、晩年まで作陶を続けます。
「体調は作品に表れるので、体調の悪いときにいくら頑張っても良いものはできん。」と話しており、独自の健康法で健康と生涯現役を貫き、102歳という長寿を達成してこの世を去りました。
三輪休雪の代名詞とも言える雪のように化粧掛けされた白萩釉は、休雪白と名付けられました。
休雪白の焼成前は漆黒の液体であり、炎によって純白に近い白に変化します。
萩焼の土の琵琶色と休雪白のコントラストが美しく、独特の美しさが魅力です。
10代三輪休雪が11代三輪休雪と共に完成させ、萩焼で初の人間国宝となりました。
10代三輪休雪は休雪白を用いて清廉さや温かみのある白を表現し、古萩の品格を持つ茶碗やぐい呑を多く残しました。
対して11代三輪休雪は荒々しい肌が特徴の鬼萩手や割高台に休雪白を乗せ、豪快で美しい茶碗で知られています。
10代三輪休雪、11代三輪休雪 共に素晴らしい銘品を残しており、中古市場で高い人気の陶芸家です。