エリック・ギルはイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に参加した彫刻家、書体デザイナーで知られていますが版画家でもあり、美術工芸や社会改革に関わる書物も多く残している20世紀を代表する芸術家とされています。
エリック・ギルはイングランド南東部にあるイースト・サセックス州の現在はシーサイドリゾートとして知られているブライトンに生まれ、ここは現在、シーサイドリゾートとして知られています。
チェスター工芸大学で学んだ後に教会建築を学ぶためにロンドンへ移住しました。
しかしそこでの研修が性に合わなかったのか、ウェストミンスター技術研究所の夜間クラスで石積みを、ロンドン地下鉄の書体開発者エドワード・ジョンストンが勤務していた中央美術工芸学校でカリグラフィーを受講したとされています。
その後は結婚し、イースト・サセックス州の西部にあるディッチリングに移り、エリック・ギルに影響を受けた者たちが集まる芸術家村「セント・ジョセフ・アンド・セント・ドミニク・ギルド」を開きました。
その後、「母と子」という彫刻作品で成功し、ロンドンのウェストミンスター大聖堂の十字架の道行の彫刻(キリストが十字架を背負い歩くシーン)も制作しています。
また、タイポグラファーのスタンリー・モリスンと出会い書体デザインに携わるようになり、ロンドン地下鉄の書体をベースに「ギル・サン」や「ジョアンナ」と呼ばれる書体を制作しました。
ちなみに「ジョアンナ」はエリック・ギルが娘の結婚式のために制作した書体といわれています。
エリック・ギルの作風は敬虔なカトリック教徒でありながらタブーに挑戦する自由を貫いたものが多く、手工芸を追及していました。
作品にはエロティックな版画や女性裸体の彫刻、神々の挿絵、古代ローマ時代のアルファベットを甦らせた石碑文などがあり、それぞれ神秘的な曲線美を感じる事が出来ます。
またエリック・ギルは特にレタリング、タイポグラフィの才能に優れているといわれており「ギル・サン」は幾何学的な構造が組み込まれ大量生産に対応した工業製品でもあり、文字の伝統的な美しさと現代の合理性を融合させた20世紀タイポグラフィの傑作といわれており、グラフィックデザイン大きな影響を与えたといわれています。
エリック・ギルは「AはA、BはBである」という表現を用いて、人はわかりやすいものを追及すると公言しています。
そんなエリック・ギルですが、最後はイングランド・ミドルセックス州のオックスブリッジにあるヘアフィールド病院で静かに息を引きとりました。
様々な芸術活動をしていたエリック・ギルの墓石には彫刻師とだけ記されているそうです。