【雨田光平】彫刻の買取作家・取扱い一覧

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雨田光平

雨田光平
雨田光平(1892~1985)
福井県出身の彫刻家で、箏曲家、ハープ奏者としての顔も持っており、箏曲京極流2代目宗家もつとめました。
本名は外次郎といい、福井市相生町の紙問屋の次男として生まれました。
東京美術学校彫刻科で学び、卒業後も研究科に在籍していました。
その実力は文展で入選し、文部省にその作品が買い上げとなるほどで、将来有望な彫刻家として注目されていました。
しかし、アメリカとフランスでハープを習い始めるようになり、フランスではハープ奏者のマルセル・トゥルニエに師事して本格的に学びます。
器用な人物だったようでハープ奏者として活躍する一方で彫刻家としても国際的に活躍しており、「日本のロダン」と呼ばれていたようです。
 
雨田光平の彫刻作品は木、ブロンズ、石膏など様々な素材を使用しており、多様な技術を駆使する事ができる高い技術力も持っていました。
また、藤田嗣治や日名子実三らと交遊し、キュービズムやロシア構成主義の台頭するヨーロッパ彫刻界で学び、日本に帰国すると美術評論を手掛けながら「構造社」に所属、構造社展や帝展、新文展に構造主義的な作品を発表し戦前まで活躍します。
戦後は疎開先でもあった郷里の福井県を制作の場の中心として、絵画、詩、書、陶芸など幅広い分野で多くの作品を残しました。

雨田光平年表


1892年 福井県で生まれる
1911年 東京美術学校彫刻科に入学する
1916年 東京美術学校を卒業する
東京美術学校研究科に在籍する
文展で入選し、文部省買い上げとなる
1919年 日本画家・窪田静子と結婚する
1920年 渡米し、ハープを習い始める
1925年 妻・静子が亡くなる
1929年 帰国し、東京で制作活動を始める
1930年 三田伊登と二度目の結婚をする
1931年 箏曲京極流2代目宗家となる
1933年 帝展彫刻部門無審査となる
帝展に出品する
1944年 空襲で作品を失う
1945年 福井県へ帰郷する
1948年 妻・伊登が亡くなる
1959年 渡辺佳子と三度目の結婚をする
1959年 中日文化賞を受賞する
1968年 勲五等双光旭日章を受章する
1973年 箏曲京極流が国の無形文化財に指定される
1979年 福井市名誉市民第1号の称号を受ける
米寿作品記念展を開催する
1985年 11月14日逝去

1892年 福井県で生まれる

1911年 東京美術学校彫刻科に入学する

1916年 東京美術学校を卒業する

00000年東京美術学校研究科に在籍する

00000年文展で入選し、文部省買い上げとなる

1919年 日本画家・窪田静子と結婚する

1920年 渡米し、ハープを習い始める

1925年 妻・静子が亡くなる

1929年 帰国し、東京で制作活動を始める

1930年 三田伊登と二度目の結婚をする

1931年 箏曲京極流2代目宗家となる

1933年 帝展彫刻部門無審査となる

00000年帝展に出品する

1944年 空襲で作品を失う

1945年 福井県へ帰郷する

1948年 妻・伊登が亡くなる

1959年 渡辺佳子と三度目の結婚をする

1959年 中日文化賞を受賞する

1968年 勲五等双光旭日章を受章する

1973年 箏曲京極流が国の無形文化財に指定される

1979年 福井市名誉市民第1号の称号を受ける

00000年米寿作品記念展を開催する

1985年 11月14日逝去


雨田光平代表作


『母と子』
『岡倉天心像』

『母と子』

『岡倉天心像』


裸婦
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