【大内青圃】彫刻の買取作家・取扱い一覧

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大内青圃

大内青圃
大内青圃(1898~1981)
大内青圃は東京都出身の仏教彫刻家で日本芸術院会員でもあります。
 
大内青圃は仏教運動家でジャーナリストである大内青巒の五男として東京都麻布で生まれました。
幼い頃から父に仏教や書と彫刻が融合したような篆刻を学び、洋画家の大内青坡から絵画や素描を学んでいたといわれています。
東京美術学校彫刻科木彫部を卒業すると高村光雲に木彫、水谷鉄也に塑造を学び、第11回再興院展で初入選を果たし、戦後は45回院展で文部大臣賞を受賞しました。
後に院展の活動をメインとしながら新文展や日展にも出品するようになり、第1回帝展で初入選を果すと同年に開催された新文展から永久的に審査を受けることなく出品することが出来る特権である無鑑査が付与される事となりました。
後に勲三等瑞宝章を受賞し、永平寺東京別院長谷寺本尊の「十一面観音像」をクスノキ丸々一本を使って完成させ最後の大作となりました。
 
大内青圃は1961年に院展の彫刻部が解散すると個展を開き作品を発表していました。
作品は父の影響もあったのか信仰心を感じる事の出来る仏教彫刻を彫り続けました。
大内青圃の作品からは優しい温もりが感じられ、触れると柔らかな肌質さえ感じる事ができそうだともいわれています。

大内青圃年表


1898年 東京都で生まれる
1922年 東京美術学校彫刻科木彫部を卒業する
高村光雲に木彫、水谷鉄也に塑造を学ぶ
1924年 第11回再興院展に出品する
(以後1927年まで出品を続ける)
1927年 美術院同人となる
1928年 第15回院展に出品する
(以後、1960年まで出品を続ける)
1938年 第2回文展に無鑑査出品する
1944年 戦時特別文展に出品する
1946年 第1回日展に出品する
(以後、出品を続ける)
1948年 第4回日展に出品した作品が文部省買い上げとなる
日展審査員をつとめる。
1960年 第45回院展で文部大臣賞を受賞する
1961年 日本美術院彫刻部が解散し、院展を離れる
1963年 前年度個展出品作品「多羅菩薩」で日本芸術院賞を受賞する
1965年 埼玉県熊谷市報恩禅寺「釈迦牟尼仏、摩阿迦葉、阿難」三尊及び「鬼王焔摩天」を制作する
1967年 東京・駒沢学園「釈迦牟尼仏三尊」を制作する
1968年 永平寺東京別院長谷寺「十一面観音像」制作に着手する
1969年 日本芸術院会員となる
1971年 勲三等瑞宝章を受章する
1977年 永平寺東京別院長谷寺「十一面観音像」が完成する
1981年 逝去

1898年 東京都で生まれる

1922年 東京美術学校彫刻科木彫部を卒業する

00000年高村光雲に木彫、水谷鉄也に塑造を学ぶ

1924年 第11回再興院展に出品する

00000年(以後1927年まで出品を続ける)

1927年 美術院同人となる

1928年 第15回院展に出品する

00000年(以後、1960年まで出品を続ける)

1938年 第2回文展に無鑑査出品する

1944年 戦時特別文展に出品する

1946年 第1回日展に出品する

00000年(以後、出品を続ける)

1948年 第4回日展に出品した作品が文部省買い上げとなる

00000年日展審査員をつとめる。

1960年 第45回院展で文部大臣賞を受賞する

1961年 日本美術院彫刻部が解散し、院展を離れる

1963年 前年度個展出品作品「多羅菩薩」で日本芸術院賞を受賞する

1965年 埼玉県熊谷市報恩禅寺「釈迦牟尼仏、摩阿迦葉、阿難」三尊及び「鬼王焔摩天」を制作する

1967年 東京・駒沢学園「釈迦牟尼仏三尊」を制作する

1968年 永平寺東京別院長谷寺「十一面観音像」制作に着手する

1969年 日本芸術院会員となる

1971年 勲三等瑞宝章を受章する

1977年 永平寺東京別院長谷寺「十一面観音像」が完成する

1981年 逝去


大内青圃代表作


『十一面観音像』
『魔王女愛染欲』
『吉祥天女面』
『金剛力士二尊』
『龍女献珠』

『十一面観音像』

『魔王女愛染欲』

『吉祥天女面』

『金剛力士二尊』

『龍女献珠』


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