ドイツ・テッテンヴァイス出身の画家、版画家、彫刻家、建築家です。
神話を題材とした寓意的な絵や、宗教画、肖像画を描いた事で知られています。
「ミュンヘン分離派」という保守的なミュンヘン芸術家協会からの独立を目指した画家の組織の創立者の一人で、社交界の中心人物でもあり、多分野で活躍し「芸術家のプリンス」と呼ばれました。
一方でミュンヘン美術院教授として後進の指導にもあたっており、教え子にはパウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、ヨゼフ・アルバース、ハンス・プルマンなどがいます。
ドイツ・テッテンヴァイスの粉屋の息子として産まれましたが、家を継ぐ事を嫌っており、父親が早くに亡くなると粉屋を継がずにミュンヘンの工芸学校に入り、レンバッハとアルノルト・ベックリンの影響を受けます。
しかし、生活は苦しく、「フリーゲンデン=ブレッター」という雑誌の編集部で挿絵を描きながら生活を送っていました。
そんなフランツ・フォン・シュトゥックに転機が訪れます。
それはパリ万国博覧会で金賞を受賞し、脚光を浴びるようになった事です。
時代は世紀末という事もあり、フランツ・フォン・シュトゥックの暗く重々しい雰囲気を持つ作品が高く評価され、フランツ・フォン・シュトゥックは一躍ドイツ画壇の中心人物となります。
「ミュンヘン分離派」をトリュヴナーらと創立し、画壇を牽引する若手画家として注目集め、ミュンヘン美術院教授に迎えられます。
その後、アメリカ人女性と結婚し、ヴィラ・シュトゥックという素晴らしい豪邸を自ら設計し、「芸術家のプリンス」と呼ばれるようになります。
なぜ「プリンス」なのかというと、ヴィラ・シュトゥックでは、毎晩貴族さながらの晩餐会が催され、家具などの調度品もすべて自らの手で制作されたものが設置されていました。
こうした生活ぶりが「プリンス」と呼ばれる所以なのです。
またヴィラ・シュトゥックの調度品は1900年に開催されたパリ万国博覧会でメダルを獲得しており、画家としてだけではなく、彫刻家、建築家としても高い評価を受けていた事が分かります。
フランツ・フォン・シュトゥックは貧乏から社交界の中心人物にまで出世した、まさに時代が生んだ芸術家です。