東京都出身の昭和~平成時代に活躍する日本の彫刻家です。
仏像や宗教的雰囲気の人物像を得意としており、木彫り作品を中心に制作しています。
その中でも『竹園生』という女性二人をモチーフにした作品は、ブロンズで制作されたものが総理官邸にもおさめられています。
彫刻家・橋本高昇の長男として生まれた橋本堅太郎は、小さい頃から父親の彫刻の木端を積木代わりに遊んでいましたが、父親や母親が苦労している姿を見ていたため、彫刻家になるつもりはまったくありませんでした。
ある日、父親から男兄弟三人のうち誰かが自分の後継者となってほしいと願い出ましたが、兄弟全員その申し出を断りました。
それから数年経ち、父親の制作する後姿を改めて見た時に、いつもと変わらない風景なのに何か気になる部分があり、彫刻家になる事を決意しました。
その事を伝えると父親は大変喜び、橋本堅太郎自身も心が暖かくなったといいます。
この時、橋本堅太郎は甘い気持ちで彫刻家になる事を決意したため、後に制作の壁にぶち当たった時にどうしたら良いのか迷う事になります。
こうして東京藝術大学を受験するために清水多嘉示にデッサンを学び、無事に合格すると平櫛田中に師事し、卒業の翌年に日展で初出品・初入選を果たしました。
しかし、次の日展では落選となり、親、親戚も道楽息子扱いをしているように感じ、東京にいる事に耐えられず、京都・奈良へ向かいます。
行く当てもなくフラフラとしていたある日、奈良の聖林寺で住職に声をかけられ、「まだ若いんだからこれから失恋したり親が死んだりして心が動いた時に深く考えるといい」という言葉を受けて、その言葉がスムーズに入ってくる事に気付きました。
それから様々な人と出会い、自分の生き方の甘さや、いい加減さに気付き、自身の歩む道をしっかりと捉え、深い精神性を築きあげていきました。
こうして再び日展に出品するようになると連続入選を果たし、最終的には日本芸術院賞を受賞するまでとなり、日本芸術院会員として活躍を見せるようになります。
また、伊勢神宮の式年遷宮の神馬の制作を行うなど、彫刻家として充実した日々を過ごしながら作品制作にあたっています。