群馬県出身の明治~昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
仏像の修復などで有名な彫刻家で、特に法隆寺に用がありか寄っていた細谷而楽が、食堂に近世の間に合わせの修理でハリボデの菰をかぶったような変な仏像を見つけ、それが天平塑像の傑作・吉祥天像であった事から見事に修復した事はとても有名な話です。
生家は前橋藩士の家柄で製糸業を営んでいましたが、細谷而楽は東京美術学校予科へ入学します。
入学した翌年に新しく開かれた塑造科へと進み、担当教官であった高村光雲に師事しました。
また、同期には高村光雲の息子である高村光太郎がおり、ともに学業に励んでいます。
その後、高村光雲の推薦により文部省古社寺保存会に勤務する事となり、奈良へ移り、仏像、古美術の修復に才能を発揮していきます。
その後東洋独特の乾漆彫刻の伝統技術を苦労しながら解明し、復元する事に成功しました。
こうして唐招提寺の乾漆仏像を修復してからは乾漆工芸家として知られ、日本国における仏像修復における貴重な存在となり、日本各地で仏像修復にあたります。
その中でも新薬師寺の塑造十二神将のうち、江戸時代の地震で失われた1体である波夷羅大将像の修復は細谷而楽の代表作として知られています。
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