コンスタンティン・ブランクーシはルーマニア出身で20世紀を代表する彫刻家として知られており、自身の作品は「抽象ではなく本質を表現した具象である」と語っています。
コンスタンティン・ブランクーシはルーマニアのオルテニア地方にあるゴルジュ県ホビツァで生まれ、18歳の頃にクライヨヴァ工芸学校で22歳の頃まで美術を学んだ後に3年ほどブカレスト国立美術学校で学びました。
帰郷すると木工職人の下で修業に励み、その後パリを訪れ美術学校に通い彫刻を学び、近代彫刻の父と呼ばれ、「考える人」でも知られているオーギュスト・ロダンにも短期間師事しました。
その後コンスタンティン・ブランクーシは、精力的に活動を行い、ニューヨークでの国際近代美術展「アーモリー・ショウ」で話題になった後に、アンデパンダン展で作品が警察に撤去され、アメリカの税関で輸出しようとしていた作品が工業製品とみなされ高い関税がかけられ購入者と税関が裁判で争うトラブルになるなど独創的な作品ゆえに起きたユニークな出来事でも知られています。
コンスタンティン・ブランクーシの作品は、自身が不要と感じたことは極限まで削ぎ落し、究極と呼べるほど単純化されたフォルムや、大理石、ブロンズなど素材の質感を消してしまいそうなほど磨き上げられているのも特徴的で、20世紀の抽象彫刻に大きな影響を与え、ミニマルアートの先駆者ともいわれています。
ちなみにコンスタンティン・ブランクーシの作品で『空間の鳥』のオリジナルは、ニューヨークで開催されたオークションで2745万ドルという当時の彫刻部門で最高値を更新しています。
1876年 ルーマニアの農村ホビツァで生まれる
1894年 クライヨヴァ工芸学校で学ぶ
1898年 ブカレスト国立美術学校で学ぶ
1904年 パリに出る
1907年 ロダンの弟子となる
1913年 ニューヨークでの国際近代美術展「アーモリー・ショウ」で話題になる
1920年 サロン・デ・ザンデパンダンで『王妃X』が警察の命令で撤去される
1926年 アメリカの税関で『空間の鳥』が芸術作品と認定されず、訴訟問題に発展する
1928年 『空間の鳥》を巡る裁判に勝訴する
1952年 フランス国民となる
1956年 ブカレスト美術館で、ヨーロッパで初の個展を開催する
1957年 81歳で逝去
1876年 ルーマニアの農村ホビツァで生まれる
1894年 クライヨヴァ工芸学校で学ぶ
1898年 ブカレスト国立美術学校で学ぶ
1904年 パリに出る
1907年 ロダンの弟子となる
1913年 ニューヨークでの国際近代美術展「アーモリー・ショウ」で話題になる
1920年 サロン・デ・ザンデパンダンで『王妃X』が警察の命令で撤去される
1926年 アメリカの税関で『空間の鳥』が芸術作品と認定されず、訴訟問題に発展する
1928年 『空間の鳥》を巡る裁判に勝訴する
1952年 フランス国民となる
1956年 ブカレスト美術館で、ヨーロッパで初の個展を開催する
1957年 81歳で逝去