黄土水(こうどすい)は日本統治時代に活躍した台湾出身の彫刻家で、台湾の近代美術の先駆者としても知られています。
黄土水は台湾の台北市艋舺(たいぺいし・ばんかく)で生まれており、人力車の修理工を営んでいた父の仕事を目の前で見て育ちました。
12歳の頃に父が亡くなり、母とともに兄達のいる大稻程(だいとうてい)へと移っています。
転居先の近くには廟や香具店、仏具店があり、多くの宗教彫刻に囲まれて育った環境は後の黄土水に大きな影響を与え、3番目の兄が大工だった事で彫刻に興味を持ちました。
黄土水は国語学校(現・台北教育大学)を卒業後、木彫技術の才能の向上を願う総督府長官の推薦もあった事から東京美術学校彫刻科(現・東京藝術大学)に留学し、研究科まで進学すると東京の上野公園にある西郷隆盛像の作者として知られている高村光雲や東洋のロダンと呼ばれていた朝倉文夫など日本を代表する彫刻家に師事しました。
それからの黄土水は日本の展覧会である帝展に台湾人としての初入選を果たし、その後も入選し続け、台湾のみならず日本でも高く評価されるようになります。
しかし、腹膜炎を患い開花した才能を更に広げる事が出来ずに35歳という若さでこの世を去りました。