愛知県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家、陶芸家です。
日本における抽象彫刻の第一人者として活躍していますが、京焼の名家である7代・清水六兵衞を襲名しているという異色の経歴を持つ作家です。
彫刻家としては周りの空間に融け込む作品を生み出す事を追求し、アルミやステンレス、陶を組み合わせた造形を模索しています。
名古屋高等工業学校で建築を学んでいた清水九兵衛は第二次世界大戦が勃発した事で半年繰り上げて卒業となり、徴兵され沖縄に配属されました。
沖縄では地獄のような激しい戦いが繰り広げられましたが、奇跡的に生還した清水九兵衛は東京藝術大学鋳金科で彫刻を学びました。
在学中に京焼の名家である6代・清水六兵衞の養子となり陶芸をはじめるようになります。
大学を卒業してからは陶芸家として名声を高め、日展の審査員をつとめるまでになりますが、彫刻への情熱を捨てる事はできず、1967年に日展を退会したと同時に陶芸も辞め、抽象彫刻の制作に没頭するようになります。
ヨーロッパの彫刻に興味を持ち、その中でも特にイタリアの現代彫刻に強い関心を持った清水九兵衛は彫刻を学ぶためイタリアへ留学をします。
そこでは彫刻が周りの建築に溶け込み、違和感なく共存している事に感銘を受け、自らの彫刻作品のテーマを「親和(アフィニティー、AFFINITY)」とする事に決め、帰国しました。
それからの清水九兵衛の制作活動は止まる事を知らず、次々と発表しては受賞を重ね、多くのパブリックアートも手掛けるようになりました。
その活躍は日本のみならず、海外でも見られ、1981年に7代・清水六兵衞を襲名して陶芸活動を再開しても彫刻制作は続けていました。
二足のわらじを踏みながらもどちらも高い評価を受け続けた清水九兵衛は、2000年に長男が8代・清水六兵衞を襲名すると再び彫刻制作一本となり、亡くなるまで精力的に活動を続けました。
1922年 愛知県で生まれる
1949年 6代・清水九兵衞の養嗣子
1953年 東京藝術大学彫金科を卒業する
1959年 叔父・清水禮四郎のアトリエで塑像を続ける
1967年 日展を辞め、抽象彫刻をはじめる
1969年 イタリアへ留学する
1963年 京都市立美術大学助教授となる
1970年 パブリックアートを多く手掛ける
1974年 第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で神戸市教育委員会賞を受賞する
1975年 現代日本彫刻展で真位置に新聞社賞、東京国立近代美術館賞を受賞する
1977年 日本芸術大賞を受賞する
1979年 第1回ヘンリー・ムーア大賞展で優秀賞を受賞する
1980年 神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大賞を受賞する
1981年 7代・清水六兵衞を襲名し、陶芸活動を再開する
1985年 吉田五十八賞を受賞する
1988年 京都府文化賞功労賞を受賞する
1990年 京都市文化功労者となる
紫綬褒章を受章する
2000年 長男が8代・清水六兵衞を襲名し、再び彫刻活動に専念する
2006年 逝去
1922年 愛知県で生まれる
1949年 6代・清水九兵衞の養嗣子
1953年 東京藝術大学彫金科を卒業する
1959年 叔父・清水禮四郎のアトリエで塑像を続ける
1967年 日展を辞め、抽象彫刻をはじめる
1969年 イタリアへ留学する
1963年 京都市立美術大学助教授となる
1970年 パブリックアートを多く手掛ける
1974年 第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で神戸市教育委員会賞を受賞する
1975年 現代日本彫刻展で真位置に新聞社賞、東京国立近代美術館賞を受賞する
1977年 日本芸術大賞を受賞する
1979年 第1回ヘンリー・ムーア大賞展で優秀賞を受賞する
1980年 神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大賞を受賞する
1981年 7代・清水六兵衞を襲名し、陶芸活動を再開する
1985年 吉田五十八賞を受賞する
1988年 京都府文化賞功労賞を受賞する
1990年 京都市文化功労者となる
00000年紫綬褒章を受章する
2000年 長男が8代・清水六兵衞を襲名し、再び彫刻活動に専念する
2006年 逝去