静岡県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の画家、彫刻家です。
グッゲンハイム美術館で受賞し、マン・レイなど海外の芸術家たちとも交流の深かった事で知られています。
透明感と軽みのある作風で、バルセロナの五輪広場など世界各地に彫刻作品が設置されています。
日本女子大学文学部に入学し、阿部展也、齋藤義重に師事して絵画を学んでいた宮脇愛子は、歴史科を専攻していた事もあり、日本画も学んでいました。
しかし、日本画は自分には合わず、油彩画に心奪われ当初は絵画作品を発表しており、ミラノ・パリに滞在していた頃は大理石の粉を混ぜて画面に凹凸をつけた抽象絵画を制作していました。
ニューヨークから帰国すると主に真鍮のパイプを使った彫刻作品を制作するようになり、摘み重ねたパイプの後ろから来る光によって、真鍮に含まれる銅の色が反映する微妙な効果が生み出されるという独特の作品を展開していきます。
その後、1980年代に入るとワイヤーを使った、流れるような曲線を表現した『うつろひ』の世界を生み出し、シリーズとして彫刻作品のみならず、シルクスクリーンなどの版画作品も手掛けるようになりました。
そんな宮脇愛子ですが、人生の中で2度の結婚を経験しており、最初の結婚では中央公論社の編集者で後に鉄道紀行作家として活躍した宮脇俊三と、次に結婚した相手は建築家の磯崎新という芸術に深い関わりを持つ人物たちでした。
また、最初の結婚の時に彫刻家として成功したため、宮脇俊三と離婚し、磯崎新と再婚した後でも宮脇姓で活動を続けています。
精力的に活動を続けてきた宮脇愛子ですが、晩年はがんに侵され車椅子での不自由な生活の中でも創作意欲は衰えず、油彩画やドローイングを次々に発表し続け、最後まで芸術家として活躍し続けました。
1929年 静岡県で生まれる
1957年 ミラノ、パリに滞在する
1960年 帰国し、この頃から真鍮のパイプを使用した作品を展開するようになる
1998年 個展を開催する
2014年 膵臓がんのため逝去
『うつろひ』
『スパイラル』