【三木富雄】彫刻の買取作家・取扱い一覧

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三木富雄

三木富雄
三木富雄(1938~1978)
東京都出身の昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
人間の耳をモチーフにした作品を多数制作した事で知られており、何かに憑りつかれたように耳ばかりを作り続けました。
三木富雄自身は「私が耳を選んだのではなく、耳が私を選んだ」と述べ、アルミ合金やプラスチックを素材として左耳ばかりを作り続けました。

幼い頃から芸術に興味を持っていた三木富雄は、芸術家になる事を夢見ていました。
しかし、父親は芸術家になる事を反対しており、どうしても芸術家になりたいのならば「理容師の資格を取得する事」を条件に三木富雄が芸術家になる道に進む事を許しました。
三木富雄は東京公衆衛生技術学校に入学しますが半年後に退学し、その後中央美術学園通信教育部に入学しました。
しかし、美術の基礎的な学習が少なく、独学で技術を習得していきました。

読売アンデパンダン展に出品して作家としてデビューを飾ると画廊で個展も開催するようになります。
篠原有司男や荒川修作らが結成した前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加はしませんでしたが、非常に親密な関係を持っていました。
そのため、この頃の作品は自動車のタイヤで作った巨大なオブジェやアスァルトを塗って燃やしたもの、無数に吊り下げた瓶を会場で破壊するなど、一般的には理解し難い芸術作品を展開していきました。

こうして1962年から人間の耳をモチーフにした作品の制作を始めるようになり、粘土や新聞紙で成形したうえに石膏を塗布した最初の耳の作品『バラの耳』を完成させました。
その後、巨大化された耳、複数の耳が規則的に配列されたレリーフ状の耳、直線的に切断し分割された耳、シルクスクリーンで刷った耳など、様々な耳の作品を作り続けるようになりました。
そんな三木富雄ですが、ニューヨークの滞在をきっかけに耳の作品から距離を置くようになり、廃物のオブジェやコラージュをもとにした版画や写真の制作を行い、国際的に活躍見せていました。

三木富雄年表


1938年 東京都で生まれる
1953年 東京衛生技術学校に入学する(半年で退学する)
1958年 櫟画廊で三木富雄・金子謙一二人展を開催する
第10回讀賣アンデバンダン展に出品する
1963年 内科画廊で個展を開催する
1964年 公開討論会「反芸術~是か非か~」に出席する
ヤングセブン展に出品する
1966年 色彩と空間展、空間から環境へ展に出品する
1971年 渡米し、約1年間滞在する
1976年 渡米し、約2~3ヵ月滞在する
1978年 心臓麻痺のため逝去

1938年 東京都で生まれる

1953年 東京衛生技術学校に入学する(半年で退学する)

1958年 櫟画廊で三木富雄・金子謙一二人展を開催する

第10回讀賣アンデバンダン展に出品する

1963年 内科画廊で個展を開催する

1964年 公開討論会「反芸術~是か非か~」に出席する

ヤングセブン展に出品する

1966年 色彩と空間展、空間から環境へ展に出品する

1971年 渡米し、約1年間滞在する

1976年 渡米し、約2~3ヵ月滞在する

1978年 心臓麻痺のため逝去


三木富雄代表作

耳

『バラの耳』

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